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桜島フェリー「チェリークイーン」との惜別と感謝。そして希望の航路へ!

こんにちは、皆さん。永田洋一です。
今回は特別な思い出と感謝の気持ちについてお話ししたいと思います。

1995年1月、桜島フェリーとして「第十五櫻島丸」が就航しました。この船は定員731人で、1・2階が車両甲板、3階は客席、4階が展望デッキとなっており、よりみちクルーズや納涼船、船上結婚式などでも大活躍しました。金色の王冠や黒い煙突が目を引くデザインは、多くの人々に愛されました。

この船のもう一つの素敵な愛称は「チェリークイーン」。しかし、桜島フェリーの減船に伴い、約28年間にわたる鹿児島港-桜島港の定期航路の運航はついに終了し、8月23日には売却のため桜島港を離れることとなりました。

チェリークイーンには、実はぼくの思い出がたくさん詰まっています。

2019年4月、桜島での仕事が決まりました。初めての仕事に慣れようと、毎朝6時15分のチェリークイーンに乗って通勤しました。素敵な錦江湾の風景に目もくれず、客席で文書に目を通す読む日々。本当に余裕がありませんでした。そして、2020年の突然のコロナ禍。学校業務の大幅な転換、児童たちとの別れ、不安な日々。そんな中でも、ただひたすらに進むチェリークイーンでの行き帰りが、ぼくの心を落ち着かせてくれました。

2021年、平均15キロもの桜島大根を持って市役所へ表敬訪問。「小学校の教頭先生」としての仕事ぶりがようやく板についてきた頃です。学校の様々な行事や活動、修学旅行や遠足。そんな日常の中で、チェリークイーンはぼくの希望と期待感を運んでくれました。

収穫された桜島大根をフェリーで運搬

2022年、桜島で収穫した椿油をデパートで販売したことや、東京都渋谷区の小学生たちと絆を深める交流作戦「桜島大根プロジェクト」でも、チェリークイーンはぼくや子どもたち、このプロジェクトに関係するたくさんの方々の夢を運んでくれました。

「桜島大根プロジェクト」とチェリークイーン  ©KYT鹿児島読売テレビ

夜遅くまでの仕事を終えてチェリークイーンに乗り込もうとしたとき、ある保護者様から感謝の言葉をいただきました。「いつもありがとうございます」本当に思いも掛けない嬉しい言葉。ぼくの日々の仕事が、なんだかんだで人々の心に届いていることを感じました。

夜景も美しい

母が亡くなったあの日も、チェリークイーンの船上から秋の海を眺めながら、合唱曲「魂のスケジュール」をYouTubeで聴きました。青い海を見つめながら、「生まれる前の魂が、月明かりをたよりに泳ぐ」その歌詞の在りようを、思い描いていました。

そして、2023年4月。ぼくは新たな転勤先である屋久島へと旅立つことになりました。校長先生からの励ましの言葉を胸に、新たな挑戦に向かいます。「桜峰小の校舎を振り返りたいが、振り返れない…」。その言葉に強く共感しながら、今までの4年間に感謝の気持ちを込めて、新たな場所屋久島で今も歩みを進めているところです。

桜峰小学校を後にするぼく

チェリークイーン、本当にありがとう。別々の航路になりますが、ぼくたちが共に築いてきた思い出や経験が、今もなおこの航路に息づいていると信じています。これからも、感謝の気持ちを胸に、新たな船旅を楽しんでいきたいと思います。

主にチェリークイーンを担当していた船長、S.DAISUKEさんにも、心からの感謝を込めて。

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