速度と”私“。
音楽漬け ライブ続き 移動
なんていうか…神経立ってて
この一ヶ月ちゃんと眠れて無かったことに、今、気付いた。
思考の速度が速い。
でもそれって
現実化も速まっているって事
のような気がしている。
思考の速度が上がると
アウトプットの口を作っておかないと私は爆発する。
暴発してしまうから、どんどん書いたり歌ったり、とにかくクリエイトしたくなる。10時間とかぶっ通しで文章書いたりしてしまう。
おかしい。
「頭イカれてんなーw」って許容したら、更にどんどん溢れるようになった。
作って出して
それを繰り返して、最近、やっと自分の産物に自信が持てるようになってきた。
そしたら、クリエイトとアウトプットは益々楽しくなった。
私はわたしのまんまで良いのだわ、と。
私の産むものたちは、もう”ウチの子“じゃなく
あらゆる側面と切り口の”私そのもの“なのだわ
その思考に至った瞬間、『なんて美味しいの』が如何に正直な曲なのかを理解した。
それはだって”私“なのだ。
ヌードモデルだって
ステージ上だって
文章だって
歌だって
“身体を使って表現する”じゃなく、
“身体が私”である と思うようになった。
いや、おかしなこと言ってるのは解ってるんやけど、なんていうのかな…実は分離や乖離がとにかく無いのかもしれないな、と思うのですよ。
小樽にいる私も
京都にいる私も
東京にいる私も
ド派手なワンピース纏ってたって
パジャマ着てたって
全裸だって
全部、私。
実はぜーんぶ同じ人物だ!と、今、直観的に理解出来た。
ん?「人物」?なんかちょっと違う。「人物」…うーん、その言葉じゃない。同じモノ、同じブツって感じ。人じゃなくても良い気がする。
ちゃんと眠れていない事は、クリエイトするものに雑味が出るような感覚。
すんなり出ないっていうか。
どんどん出して、色んなこと(体力とかお金とか、現実的な面ね)が追いつかなくなると、イーーーーーッ!ってなっちゃう
ってことに気付いた。
ああ、出したい、もっと出したい、アウトプットしたい、全て吐き出し、カタチにしてしまいたい!!!と。
凄い速度。
それでもまだ足りない。もっともっと走れるはずだ。焦りじゃない。
沢山吐いて、カタチにしたいのだ。
作品。
「私が作品なのだ。」
「作品が私なのだ。」
こういう意味の分からない思考が、意味もわからず瞬時にわかる。理解している。けれど、「何を?」なのかは判らない。
わからないけれど、それでも良い。
もっと出したいの。
ただただ “それ”なのだ。
さあ、現実面もそろそろ着いて来させますか。
許可します。この、
私のスピードを!
よし!寝る!
皆様、今宵も
良い夢を。