DEAR FRIENDS_自叙伝2060年⇆1985年_dear meストーリー
2060年の私
バックステージで鏡に向かう私。
1960年生まれの100歳。
2030年から急速に発達したデジタルヘルスと老化細胞を死滅させるバイオサイエンスのおかげで、今や還暦の時よりも若返っている身体をキープ。
今朝も睡眠中にデータ化される生体情報スキャンと共に起床。
脳波、心電図、体温変化のセンサーデータをアウトプット。
そのデータから最適な食事内容をAIがプランニングして、その日の体調に合わせたメニューをカスタムメイドしてくれる。
時にはシンプルに5Dプリンターでゲル状の栄養素を摂る場合もあるし、時にはコンシェルジュAIにオーダーして、新鮮なサラダやビタミン要素を調達する方法もありで、日々の体調管理はまったく問題なし。
ただしね、こんな時代でも、歌を歌うことだけはテクノロジーには任せられないの。
100歳になっても歌うために、日々、心身共にコンディションを整え、トレーニングを地道にして、自分を更に磨く努力をすることは、昔からの継続でまったく変わらない。
そうね…
ハイテクノロジーが生活に密接になったのは、今から40年前の2020年の頃。
あの時代、世界中を巻き込んだウイルスの感染症や、2022年に起きた侵略戦争の悲惨さを超えて、生活の意識が変わり始めたの。
世界は共通の危機感を持つことからテクノロジーの大切さを学んだのよ。
国境や人種を超え、動き出した新しい力の躍進は、世界をよりよく変えるために地球全体に伝わり、奇跡的な好転をもたらした。
ネットやオンデマンドに力を入れて来た企業は、感染症や戦争で閉鎖された時間をビジネスチャンスに変えたわ。
その後、多くの新たな起業が立ち上がり、競い合い、次々に最新のテクノロジーを生み出し、ニューワールドへの道に貢献したのよ。
地球はSDGsも達成、2030年には目覚ましい発展を遂げたわ。
私?
100歳の私が、そんな時代を超えて今、なにをしてるって?
はいはい。
私はね、相変わらず歌っているわよ。
最近は、バーチャルライブ、モーションキャプチャー、プロジェクションマッピング、アバター等、あらゆる演出が盛りだくさんのコンサートも多様化してるけれど、結局、昔からのライブパフォーマンスの根底は変わらないもの。観る側には、ライブを多種多様に楽しむ選択が増えているのでしょうけれどね。
まぁ、そんな古典的な私でもテクノロジーの恩恵は受けまくっているわよ。
ハイクォリティ美容のおかげでステージに向かう準備は昔に比べれば、すごくシンプルで早くなったわ。
ほら、見て。
今やメイクはこんな一枚の人工皮膚をつけることによって即完成。もう誰もいちいち顔に塗る前世紀のメイクをしなくなった。
衣装も自由自在。
描いた服を型のあるボディに投影することで簡単に転換して無限の可能性を一瞬で生み出せるのよ。
だけどね、そのテクノロジーとは別に、まだ13cmヒールのサイハイブーツは健在よ。筋トレも毎日、AIからの指示でプログラミングして行えるし、足りない栄養素は常にウエアラブルで服や身につけるガジェットからデータが送られ、AIから的確なアドバイスが常に提示されるので、あれこれ悩む必要はないわ。
未来はね、思ったより素晴らしい世界よ。
だから、今いる世界が問題満載でも諦めないでね。大丈夫。
その先には、描いた「夢」が花開く未来が待っているからね。
夢のコントロール
そう、「夢」
眠る時に見る夢さえも、今や簡単にコントロールできるのよ。
2040年代から、脳のインターフェース技術の躍進により、夢のコンテンツ化が可能になった。昔見たSF映画のように夢を使って過去の自分に戻ることもできる。
記憶をただ辿るんじゃなくて、記憶を夢の中で再度呼び起こして体験することができる。これはメンタル医療においても効果があると推奨されてるの。
あら、信じられない?
それなら、私の体験を「夢」で試してみる?
そうね、いつがいいかな。
私が38年前の2022年から描き続けている自叙伝はいまだに継続中だけど…
そういえば2022年には描ききれなかった75年前の1985年の記憶はどうかしら。ちょうど記憶が、日記の形態になっているし。
では、試しにやってみましょうか。
今はちょうど6月でタイミングもいいわね。
さぁ、呼び戻してみよう。
私が精神的には、ほんとうにどん底で、バンドも諦めそうになった、あの忘れられない時空へ行ってみましょう。
あの頃、私の中でどんな心の変化があったか。
体験してみて。
さぁ、このガジェットをつけて。
私の思いを「夢」の中で、あなたも感じることができるわ。
準備はいい?
瞳を閉じて、お眠りなさい....
夢の中で会いましょう。
1985年6月16日
ス︎トレッチャーが走る。
その間の意識は曖昧。
名前を聞かれた?
答えた記憶はあるような…ないような。
今から緊急手術を行うので衣服を切りますという声。
頷いたかな。
でも、すぐそばに誰かの手があって、怖いからすごい力で握りしめてた。
次の瞬間、目が覚めたら天井が見えた。
頭は動かせないけど、病室?
考えようとしていたらまた目を閉じた。
時間経過はわからない。
だけど鼻にある管が痛くて少し横を向いたら吐いた。
鮮血が出て母の声がする。
「死んじゃう!誰か来て〜!」
意識が遠のき、また目覚めた時には母と父の顔。
私は話せないけど父が新聞を見せて、どんな状況だったかを話してくれた。
手術は5時間以上かかった。
術後、意識が戻るまでは面会謝絶の重体だったと。
6/18/入院3日目
胸のパイプが取れ、少し呼吸が楽になる。
父母は私の意識が戻ってからは、お見舞いにかけつけてくれた人を少しの時間だけ病室に入れていたみたい。私は眠ったり覚醒したり、誰かの顔が見えた気もするけどぼんやりしてあまり覚えてない。
6/20/入院5日目
鮮血を吐いたのはストレスからくる急性潰瘍だった。
大量の鮮血。確かに怖かった。
その瞬間の母の叫び声は、意識が朦朧としている私がはっと目覚めるくらいの声だった。
6/21/入院6日目
内科病棟から外科病棟へ移動。
母もずっと付き添ってくれたので、疲れていると思い一時帰宅して貰った。
だけど、少し心細い。
胃カメラを飲んで、潰瘍が出来て血管がむき出しになっているところに止血剤を塗る。非常に気分が悪い。
6/22/入院7日目
たくさん、輸血をする。
6/24/入院9日目
胃カメラを再度飲んでOKが出て、喉と鼻の管が取れる。
今日からは食事もお水も飲める!
看護師さんに髪を洗ってもらう。
少しずつ歩き出す。
でも足がガクガクでたくさん歩けない。
今日はLOFTのライブだった日。
本田くんが病室に来て、これからLOFTに行くと言っていた。
その後、刑事さんが来た。
事件のことを1時間くらい話す。
とても疲れた。
お茶を飲んだ。
すごく美味しかった。
6/25/入院10日目
点滴が1日で2本になり、体を動かすと気分がいい。
トイレまでの歩きは楽になる。
ただし寝ると寝返りができないのでつらい。
6/26/入院11日目
刑事さんが再度来た。
この間の話を文書にした書類をチェックして捺印する。
状況説明はとても疲れる。
それにあまり良い気分のものじゃない。
6/27/入院12日目
点滴がなくなる。
腕が腫れて痛い。
今日はよく眠れた。
ずっと眠りが浅くて…
目をつぶると意識がハイスピードでまわってるみたいになって、怖い。
怖くて、なんともいえない嫌な夢を何度も見た。
食欲はあるんだけど胃が張っているのか、あまり食べられない。
後で聞いたら手術で胃も切って縫っているので致し方ない。
数カ所ある傷自体の痛みはあまり感じないけど、常に身体が引きつる感じがする。
お昼にお母さんがメロンを剥いてくれたんだけど、果物ナイフを見たら急に怖くて、いきなりすごい勢いで泣いてしまった。
お母さん、ごめんなさい。
6/28/入院13日目
入院後はじめてお風呂に入る。
シャワーだけどガーゼも取る。
傷は怖くて直視できない。
でもシャワーは気持ちよかった。
来週の水曜日ごろの退院予定と先生から言われる。
6/30/入院15日目
朝から眠くてウトウトしてばかり。
ずっと窓の外はすごい雨嵐。
台風。
お母さんも毎日病院に来ているので今日は来なくていいよと伝えた。
傷の引きつりは相変わらず。
だけど椅子に座っているのが少し楽になった。
病院の中をたくさん歩く。
はじめて病院の中をゆっくり見た。
病室のある5階から1階まで降りて、また上がってを繰り返し歩く。
7/1/入院16日目
食事が普通食になった。
台風が去って快晴。
お風呂にお湯を溜めて入る。
検察庁の人が来て状況を話す。
署名捺印をする。
7/2/入院17日目
明日退院。約3週間の入院だった。
7/3/入院18日目
退院。
タクシーで帰宅。
久しぶりの家はやっぱりいい。
少し休んでからタクシーで買い物に。
化粧品とBOOWYの新しいレコードを買う。
疲れた。
声がまだあまり大きく出せない。
7/4/事件後19日目/通院1日目
退院した翌日から通院。
お母さんと一緒。
外を歩くのは、まだ慣れない。
7/5/事件後20日目/通院2日目
通院後、メンバーがリハをしているスタジオまでタクシーで向かう。
いきなりドアを開けた途端、みんなびっくり。
「大丈夫なのぉー!」って感じ。
3人とも真剣に練習していて頼もしく思う。
7/6/事件後21日目/通院3日目
通院して帰宅後、キースが奥様の愛ちゃんと来てくれた。
貢とベニーちゃん本田くんも来てくれた。
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