人に触れない
小中学生の頃、クラス中からいじめられていた。
毎日風呂に入る習慣や毎日違う服を着る習慣が無く、いつもサイズの合わない変な服を着ていて、言動もなんだか変。そんな子供はいじめの格好の的だった。
とは言っても、ニュースになるような派手な加害をされたわけではない。ただ”穢れ”として扱われただけ。机をくっつけることを嫌がられ、触った場所を拭われ、班活動等で他の人の席に座ることがあると泣くほど嫌がられた。何をしていても奇異な目で見られ、聞こえる音量で悪口を言われることも多かった。
なぜ急にこんな身の上話をし始めたかというと、最近自分の接触恐怖について考えていて、明らかにこの9年間の”穢れ扱い”が原因だと思ったからだ。
一般的な接触恐怖は潔癖症のようなイメージな気がするが、私の場合は「穢れている私が他者のテリトリーを侵してはいけない」「力加減を間違えて相手を傷付けてはいけない」という側の恐怖心だ。
おかげで他者の身体や所有物にほとんど触ることができずに今まで生きている。所有物については差し出されれば使っている間は触れるが、カバンをどかすなど勝手に触ることはできない。
ここ数年でようやく、取ってと言われたものを本人に渡す、持っててと言われたものを持っていることはできるようになった。緊張するが。
一方で身体は差し出されてもだめだ。スタンディングのライブに行くとたまに客席で手を繋がされることがあるが、隣の人が手を差し出してくるまで動けないし、差し出された手をしっかりと握り返すこともできない。
高校の組体操やペア体操も地獄だった。相手をしっかり支えないと危険なのはわかっているのに、そっと触れる程度で脳がストップをかけてしまい、真面目にやってよと叱られていた。
学生時代だったか、フリーター時代だったか。
彼氏を作りたくて出会い系アプリで知り合った男性に「わたし、人に触れないんですよ」と話したら「え、じゃあ試してみようよ。ほら、ハイタッチ」と、手を差し出された。その手を上げる動作に反射でビクッとしてしまう別の症状も出たが、それはそれとしてハイタッチくらいなら勢いをつければできるだろうと応じることにした。
が、できなかったのだ。
結構力を入れて勢いをつけたのに、彼が挙げた手に触れる10cmほど手前でビタッと体が制止してしまう。何度やってもそうだった。自分の接触恐怖がそんなに強いと思わず、混乱した。なにより申し訳無かった。
彼は「まあ、一緒に座ってようよ。それでいいよ」と言ってくれた。体目当てだったのが外れただけにしても、それで相手に優しくできるんだから優しい人だ。
つい最近もそういうことがあった。
友人達と集まって話していたときのことだ。内容は忘れたが誰かが涙ながらに過去を話して、みんなでハグをする流れになった。そんな感動的なシーンなのに、身体が動かなかった。
どうにか参加せねばとハグをする距離でハグの身振りはしたのだが、身体を密着させることも、手をしっかりと相手の背にまわすこともできない。これが精一杯だと謝ることしかできなかった。
諸事情により身体を触れる・触れさせるのハードルが常人より緩めな友人達であったが、だからなおさら全く人に触れない私との差が大きく、コミュニケーションにちゃんと参加できない虚しさと申し訳無さを強く感じた。
カバンを預かる、服のリボンを直すなどもいまだに緊張するし、髪を触ってとかハグしようとか言われたときは体が動かなくて本当に申し訳ない気持ちになる。そういうことを頼んでくる時点で相手は私を”穢れ”とみなしていないことは明白だが、自分の脳が「穢れているから触るな」と強く拒絶し身体を硬直させるのだ。
女性同士のコミュニケーションは、髪や持ち物を触らされることが多い。それ以外でも、上に書いたようなライブや荷物持ちなど、人の体や持ち物に触らされる場面は生活の中で少なくない。
だから克服しないとつらいのは私自身なのだが、たぶん完全に克服するのはそれこそ洗脳みたいなことをしないと無理だろう。少しずつ、触れる範囲を広げていくしかない。