seascape
以前、私は大手ドラックストアで勤務していた。その店舗は都内でも地域色が濃い場所にあり、人情あふれる人々がお客さんだった。
ひょんなことから、私は妙齢な女性のお客さんと仲良くなった。その女性は週に2、3お店に来て、薬ではなく日用品を買っていく。品出しなんかしているといつも明るく挨拶をしてくれて、4、5分雑談をするのがルーティーンになっていた。
最近あったことなど他愛もないこと。店長もそういうコミュニケーションを大切にしていたのでその雑談を咎めることはなかった。
ある日、彼女が私と同じ九州出身だと知った。
ふとした会話からだった。そして、彼女がその後に話した内容がとても印象的だった。
「私ね。何十年ぶりかに故郷に帰ったの。
そしたら、もう何もかも変わってしまっていてなんだか悲しかった。
でも、海だけは変わっていなかったわね。」
杉本博司という現代芸術家がいる。
彼は写真を使った作品でとても有名である。
私は彼の作品の中で「seascape」というシリーズが一番好きだ。
このシリーズは世界各国の「海」と「空」だけが見える場所に行き、全く同じ構図で撮影されている。大判のフィルムの現像技術。テーマ。イメージ。全てが簡潔かつ高レベルで余計なものが一切介入しない素晴らしい作品だと思う。
「どこの海にも水と空気しかありませんが、おそらく何千年も前から景色は変わらないでしょう。人々は崖に立ち同じ景色を眺めていたはずです。
この作品はタイムトリップを経験させてくれるでしょう。文化に刻まれた遥か昔の記憶を巡ることができるのです。」
引用:"CONTACTS" from a concept by William Klein
海も空も常に揺らいでいる。形を留めない。でも確かにそこにある。
この柔軟だけれども確固たる何かが人を惹きつけるのかもしれない。
それから、ふと思う。
私が彼女くらいの年齢になった時。
果たして海は変わらず、私の前に現れてくれるのだろうか?