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何も言わなければ何物でもない 【何者問題シリーズ2】

何も言わなければ何者でもない

自分は今すごく良い気持ち。流れる雲を見上げながら、暖かい日差しを感じながら、少し肌寒くなった風に時の流れを感じて気ままに歩いている。

なんて文学的なつもりで俳優ぶっても端から見ればただ上を向いて歩いているヤツだし、なんならただの街の通行人を誰も見ないのでただの空気と何ら変わりはない。

そして実際に一人で歩いているときには感じているのは言語形ではない。
なんとなく心地よく歩いているだけ。

そう考えるとこの世の中に風に時の流れを感じて気ままに歩いている人は実存しない。自分の中で言語化する過程で初めて作られる空想のものである。

妄想が好きな人なら歩きながら自分をそんなステージの登場人物だと思いながら歩くかも知れない。でもそれは自分の中にしか存在しないし、架空の「自分を見ている誰か」を立てて初めて成立する。つまり将来的に誰かに発表するため(実際にするかどうかは関係なく)で初めて成立する。

さて、難しい例えをしてしまったが表題のテーマは割と普遍的なものだと思う。
自分は日本人だと誰にも言わなければ何人でもないし、何人である必要もない。

事実などというイイ加減で曖昧なものは言葉でどうにでもひっくり返せる。
さっき言われた罵倒も一度寝ればキレイさっぱり忘れられてなかったことにされるのだから、価値観ごっこでお遊びする現代社会がアホらしく思えてしまう。

全部が錯覚だと言われれば全部が錯覚だ。
何かを言えば容易に否定される。
だが何も言わなければ何物でもない。

「うん」とか「すん」とか「やばい」だけで生きていけば生涯何者でもなく生きられる。
少なくともずっと黙っている「無口な人」にはならない。
現代の若者が若者でなくなったときには「何者でもない世代」という何者になるかもしれない。

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