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土地感覚について

土地感覚がない。
その代わりに地図感覚が身に付いていく。
東京に住んで5〜6年、そんな感覚が常にある。

これは東京に限った話ではないと思うが、飛行機で初めて飛んできて、それからは毎日電車で移動ということになると、常にワープを繰り返しているような気分になる。

道中にどんな道がつながっていて、どんな町が広がっているかをすっ飛ばして、少しの時間その乗り物に乗って待っていれば目的地にワープしてしまう。

銀座には行ったこともあるし、景色もわかる。あの辺りにはあの店があって、、、ということもわかるが、周りにどんな場所があってどういう風に自宅とつながっているのかは皆目検討がつかない。

そうなれば、東京に住んでいるとは言ってもニューヨークにいようが北京にいようがロンドンにいようが同じなのだ。それらの違いはどれだけワープに時間がかかるかというだけであって、いつまで経っても東京に属した気分にならない。
たまたまワープした先の町が東京都という属性を持っているだけだ。

ではいつが一番土地感覚があったかというと、それは確実に小学生のときだと断言できる。
学区というエリア内で日々を過ごし、学区内の友人宅や公園や駄菓子屋、、、あらゆる場所が頭にインプットされてた。
放課後あの公園に集合ということになれば、どうすればそこに行けるのか、どれくらいかかるのか、道中にはどんな場所があるか、この通りの裏にはハナコちゃんの家があるとか、ちょっと遠回りだけどタローくんの家に寄って一緒に向かおうとか、タケシくんとサトシくんは家が近所だからやっぱり今日も仲が良さそうにあっちの方角から一緒に来たとか、それはそれはその土地を骨の髄まで堪能していたのだ。

家から職場までワープの連続を繰り返すだけの生活では上のような例は何一つ実現できない。携帯がなければ職場まで電車なしで行くなどできるはずもない。こんなに365日毎日通っているのに。1年に1回しか行かない校区の外れの公園でも行き方を熟知しているあの小学生に劣っているのだ。

結構な損失だと思っているのだが、誰もそれを特別問題視はしない。
でも多分自分のような都会人はわんさかいるのだろうと思う。
いつまで経っても東京に馴染めないと思うのもこれがかなり原因になっているのではないかと思う。

いつでも現在地と周りの地図を見れてしまう現代においては移動はただのツールだ。土地感覚を身につけなければならない、と切に思う。
生活とはそのようなものから生まれるのではないだろうか。

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