自己理解プログラム開始宣言のつづき
こんにちは、あっこです。
昨日、私は自己理解プログラム開始宣言をしたのですが、まだすべてを書ききれていなかったので、今日はその続きを書いていきます。
◯自己理解プログラムを受けるまえの私について
前回お話したように、私は7年前夫を肝臓がんで亡くしました。
夫が他界するという経験は、私にとって大きな喪失感をもたらしました。
実は、20代の頃、私は友人も自死で亡くしています。
その時も長いこと、彼女の悲しみに寄り添えなかった自分を責めていましたが
夫は持病からのがんといえど、もっとできたことがあったはずと
「なぜ生きているのが私なのか」
「今頃私がいなくなって、夫が生きていたとしたらきっと、家族は今よりいい状況だったに違いない」
みたいに自分責めオンパレードの日々でした。
今その自分を振り返ると、かなり冷たいかもしれませんが
「悲劇のヒロインぶってんぢゃねーよ!」
ってハリセンボンの春菜さんぽく突っ込んでます(苦笑
が、まあそれだけ病んでました。
でも、大切な人の自死や、パートナーの死別経験はそれだけの衝撃があることなので、病むことが標準というか、誰しもそういう状態になってしまう。ということはご理解いただけると嬉しいです。
ただ、パートナーがいなくなった現実を受け入れることができないでいる状態でも、生きていかなくてはならないわけです。
そのためには働かないといけない。
私にはリラクゼーションというやりたい仕事を持っていたのと、半分独立した状態になっていたことが幸いし、自分の体調に合わせてリハビリ程度に働くことができたのはとてもよかったです。
ただ、その状態から通常の働き方ができるようになるまでは、途中コロナ禍になって、リラクゼーションの仕事すらできなくなった時期もあり、ずいぶん時間がかかりました。
その間はリラクゼーションの学び、カウンセラーとしての学び、その他資格取得などに費やすことが多かったです。
資格ジプシーにもなっていたように思いますが、心理カウンセリングの手法のひとつである「 傾 聴 」に出会って学びを深める環境が整っていたおかげで、今の仕事にも大いに役立ち、さらに前向きに動けるようにはなりました。なんとか自立にこぎつけることができるようになったのは、傾聴のおかげと言っても過言ではありません。
私はいわゆる機能不全家庭で育ってきたものですから、そもそも「人に頼る」というスキルを持ち合わせていません。そのため、人にどう頼ったらいいのかがいまいちわからず、すべてを自分ひとりでなんとかしようとしてきました。傾聴は人の話を聴くスキルなのですが、自分への傾聴をすることで人の話が聴けるようになる。という教えから、自分で自分の気持ちに寄り添うことができるようになりました。だからこそ、ここまで自立することができたのです。
でも、正直ちょっと虚しさも感じていたんですね。
自分で自分の機嫌を取ることは大人としてはあたりまえなのですが、やっぱりたまには誰かに悩みも聴いてほしいし、吐き出したいなって思うこともある。でも、大切な人を目の前にしても、大切な人の状態を見ては諦めてしまうんですね。
傾聴を学び、人の気持ちに寄り添うことが常になってしまったゆえに、自分の気持ちを横においたまま、寄り添ってもらえない気持ちを自分で癒やしはするんですけど、ずっとそれでは切ないと感じる自分もいました。
そういう消化しきれない自分の気持ちを積み重ね、ついに私の心が破裂していまいました。
頼りたくても頼れない自分に嫌気がさすものの、子供の頃から染み付いたマインドもなかなか頭から離れなくて
「どうせ聴いてもらえないもんな」
「みんな自分のことでいっぱいいっぱいだし」
「鵜呑みにしない。うわべでの優しさと思っとかないと」
みたいなひねくれ思考が脳みその片隅から聞こえてくるんですね。
でも、そんなふうに感じてしまう自分もとても嫌で。
だから、YoutubeやSNSでいつも
北原さんや八木さんのことばをくりかえし聞いていました。
自分を洗脳させるつもりで(笑
大切な人をまたしても失うことになって(死に別れではないですが)
ここで変わらなかったら、本当に私は
「死ぬためだけに生きる自分」でしかなくなるな。
そう思ったので、
このタイミングでの自己理解プログラムの受講となりました。
今、まとまったお金がないからといって先延ばしする状態でもないし
「お金なんか受講しながらカードの支払期日までに作ればいい」
そう思ってカードを切りました。
◯自己理解プログラム受講した後の理想状態について
夫が他界する1年ほどまえまでは、私は専業主婦でした。
夫は私に家にいてほしいと思っていたので、あえて働くことはしていませんでした。働いてもコンビニでパートをして、子どもの習い事の費用を捻出するくらいでした。
それまで私は、裁縫がだいすきで、まいにちミシンを踏んでいました。
足踏みミシン、職業用ミシン、ロックミシンなどなど・・最大で7種のミシンを所有し、ひたすらお洋服やかばんを作っていました。
裁縫のサークルを作って、子育て中のママさんと集まって、みんなで裁縫を楽しんでいました。
ホームページも作って、そこのブログで活動報告をしたり、みんなの作品を披露したり。
そして、みんなで作った作品を集めて、ハンドメイドイベントに出品したりもしました。
はじめてのイベントでは、みんなで協力していちにちで5万円を超える売上を得ることもできました。
家族で旅行に行くときは、家族おそろいの服を作り、当時飼っていた犬にもおそろいの生地で服を作り、それをみんなで着て出かけることがとても楽しかったんです。完全に自己満足の世界でしたが、夫も子供も嫌な顔せずニコニコと私の作った服を着てお出かけしてくれたのは、今思えば、私が楽しんでいること、喜ぶ顔を見たいと思ってくれるくらい、好きでいてくれたからなんだなあと感じます。
だけれども、ある日突然、私の裁縫熱はまるでなくなりました。
自分でも今でもよくわからないのですが、ミシンのまえに座って手を動かしても全くワクワクしなくなってしまいました。
つくりかけのものが、つくりかけのまま、処分してしまったものもありました。
もうミシンもすべて手放してしまおうか、とも思ったのですが、道具は一部を除いて今も残しています。それは、なぜ裁縫ができなくなったのかわからないまま、もやもやの状態で無くしてしまってもあとで後悔しかねないと思ったからです。
自己理解プログラムを行うことで、できたらそのもやもやをすっきりさせたい。せめてそのもやもやが晴れるきっかけが得られるとありがたいな、とは思っています。
プログラム受講後の理想の状態とは、裁縫が楽しくて仕方がなかったあの時のワクワクを、また味わえている自分になっている、という状態です。
八木さんのように情熱を持って、声高く、自分の大好きなことに夢中になっている私に、またなっていますように。
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