今年、我が家の双子(男女)は受験生である。 昨年の10月に小学校5年生で日本に帰国し、しばらくして学校が 楽しくなかったことから、受験をしたいと言い出したからである。 であるからして、夏休みは塾三昧だった。 私立受験コースではないので(中学から私立に行く💸おぜぜ計画は無い)、 塾の授業自体は2時間ほどだが、自主的に私に弁当を頼み、 🐓朝の9時から自習室へ、🐦⬛帰りは🕧午後6時、という生活だった。 時間も長いし、息抜きも欲しかろうと、私はおやつ代を少し渡していた。 ある
9月に入って夢を見た。 医者にステージ4の乳がんと診断される夢だった。 夢の中の私は 「そうかぁ、🐟鮭も子孫残したら親は死ぬしな。まあ役目を終えたってことだよな。うんうん。」と妙に納得していた。 2月、左の胸にしこりの様なものがあることに気が付き、 乳がんの検査を受けた。 超音波検査と人生初のマンモグラフィーを別室で受けてから、診察室へ。 お医者さんの触診とエコーのため、 何度目かの上半身裸になってあおむけで、診察を待つ。 すると、 看護師「こんな所でなんですけど、私○
R氏は愉快な人である。 畳の上を這いずり回り、孫どもを追いかけまわすのだ。 疲れるとごろん、と横になり、すぐに昼寝をしてしまう。 R氏は苦労人である。 戦争が終わった時に、中国の大連にいた。 帰国のために1年かかったので、高校は1学年下の学年になった。 そのお陰で、同級生になった図書委員の中に、後の嫁さんになる人が居た。 R氏は奇想天外な人である。 孫娘に、ホテルのケーキセットをご馳走しながらこう言うのだ。 「そろそろ、墓を買おうと思うのよ。 お墓にセンサーとスピーカーを
8月31日、なんと今年は土曜日なのである! 9月1日は日曜日、つまり夏休みの宿題を片付けるには、ボーナスステージ! つまり、X上で宣言した「あと2本noteを書く!」という宿題も明日でもいいはずなのである。 そもそも「夏休みの宿題」とは何だろう? 一番初めに「夏休みの宿題」意識されるのは、なんといっても 小学校だろう。 絵日記・ドリル・読書感想文・自由研究が醸し出す夏の終わりの圧迫感。 (…ちなみに、つかざきが小2~中1までいた某日本人学校には夏休みの宿題が無かった!厲
エジプトに留学していた時のこと。 友人の話である。 エジプトのレストランで食事と一緒に🍊オレンジジュースを注文したそうだ。 前菜のパンとペーストとサラダが来ても、ジュースは来ない。 メインディッシュの肉料理が来ても、ジュースは来ない。 「ジュースはまだか?」 「まだだ。」 デザートになっても、食べ終わってもジュースは来ない。 待てど、暮らせどジュースは来ない。 ジュースに足が生えてるわけではないので、 正確には、エジプト人の店員が持ってこない。 「会計をくれ!」 「
子供たちが1歳代の頃、レバノンという国の首都ベイルートに住んでいた。 双子を連れて近所を散歩していて、こんな風に挨拶されたことがある。 「ボンジュール・カトクート・ハウアーユー?」 ・ボンジュールはフランス語でこんにちは。 ・カトクートはアラビア語でひよこ ・ハウアーユーは英語でお元気? 「こんにちわ~、ひよこちゃんたち!元気~?」 そのくらいのノリの挨拶の中に、3つの言語が使われているのだ。 レバノンという国の歴史的背景を知っていれば、「まぁ、そうだよな」と理解でき
前回の記事「自己理解プログラムを終えて」を読んで頂きありがとうございます。(まさかの自己理解プログラムさんから「スキ」を頂いたのには、べっくらこきましたが…) 今回は何を得て、何を代わりに引き換えたのか、ということを整理したので書いてみたいと思います。 自分の役割に縛られないプログラム履修生とのつながり これがもう、文句なしの私の中で大きな財産。 前回の記事を書いた反響を見ても、本当にそう思った。 ある方はコメントで、ある方はDMで、記事の感想を寄せてくれた。 皆「お
2024年7月24日、3か月間にわたる自己理解プログラムを終了しました。 いやぁ、ね、泣いたよ。 最終コーチング終わって、日々の些事が済んで一人になる時間になったら、泣けてくる。 自分の不甲斐なさに! なんか、もう、ごめん。家族の大事なお金を33万も使って受けたのに、 やりたいことが見つからないどころか… それ以前の問題じゃん!ってなりました。 結論から言うと、私は「やりたいこと」が見つかっていません。 幾つか思い当たる原因、それを書いてみたいと思う。 ①コーチに遠