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遠慮がちだった自分がブッコミを続けた結果・・・

私はとても頭が悪い。よせばいいのに、この後どうなるのだろう?という好奇心にかられて「ぶっこんでしまう」癖があるのだ。これが奏功すればとても大きな効用が得られる反面、失敗した時にはヤ●ザ相手にツバを吐いたあとくらい酷い目に遭う。それでも一向にブッコんでしまう悪癖が止まらないのだ。

先日久々に連絡をとった同期に言われて思い出したのだが、今になって振り返ると、大学生の頃に受けた銀行の入社面接やその後の配属希望面談なんて、相手を間違えていたらきっと今とは全然違う人生になっていたのではないか?と思うくらい若気に溢れた受け答えをしていた、これはそんなエピソード。

私は事情があってとても貧しい学生生活を送っていた。それこそ朝早くから夜中まで働かねば生活が回らないくらい困窮していて、自分の出自を呪い、世の中が嫌いだった。当時の自分にとっては背負っていたものが大きすぎて、周囲の大学生と自分とを同じ「大学生」と括られることが苦痛でしかたなかった。

朝昼はレストランで働き、夕方は居酒屋、夜から朝方までは給料がそこそこ良くて技術が身に付くという理由でBARみたいなところで働いていた。自分は接客という仕事が好きだったし、夜の街にやってくる人たちにとても可愛がられた。また、バカな大学生とちがい大人な彼らと話す時間がとても楽しかった。

気づけば、自分を目当てにやってきてくれるお客さんもつき始め、夜の街界隈ではそこそこ顔も売れてきていたし、給料とは別にチップをくれる大人が沢山いたため生活はなんとか回っていた。周囲が就職活動を始める時期に差し掛かっても、初任給20万くらいの金で会社員になる気がまるでしなかった。

そのため、私はセミナーに参加するだとか、OB訪問するという就職活動をまるでしていなかった。そんな折、辛うじて参加し、私が末席を汚しに汚しまくっていた大学のゼミ宛にとある銀行から懇親会の誘いが来た。と面倒見の良いゼミ長から私に連絡があった。彼なりに私を心配してくれていたのだろう。

少し酒も残りつつ、朝まで働いた眠い目をこすり、BARの社員向けの狭いロッカールームで着慣れないスーツに袖を通し、徹夜で懇親会場に向かったことを覚えている。朝8時半からの懇親てなんだよ。酒も飲まずに懇ろに親しめるかよ、クソが。とか当時の私なら絶対考えていたはずだ。とにかく眠かった。

日本橋だか銀座だかのビルにある無機質な会議室の中に車座に机が配置されていた。私は銀行員が座る対面の席に座ることにした。こっちは学生十数名、向こうは若い銀行員が2人。いつもは大学で軽口を叩いている同級生が緊張した面持ちで座っているのをみて、ちょっとどこかバカにしていた自分がいた。

私はハナからやる気もないし、ボーッと会の進行を見ていたのだが、目の前で繰り広げられるクソつまらない同級生の自己紹介と、それに対する毒にも薬にもならない銀行員の返答を見ていた時、ふと私の悪癖が腹の底で蠢き始める。「引っ掻き回してやりたい」衝動にかられ、すぐにチャンスはやってきた。

1時間の懇親会のうち20分もすぎた頃、私の自己紹介の番がやってきた。「すみません、先程まで働いていたのでお酒が残ってます。夜の町からやってきた飲んだくれ大学生、じこばすです。特技は貧乏。趣味は労働。先ほど頂いたおーいお茶を焼酎と思いリラックスしてます。よろしくお願いします。」

また始まった。という同級生の諦念に満ちた苦い顔が私の視界の端を掠めたが、一回アクセルを踏んでしまったのでもう私は止まれない。そこから私は怒涛の如くバカ話を繰り広げ、銀行員2人の笑いのツボを捉えた。「なんだこいつ」「君、アホなの?」と言いながら銀行員は腹を抱えて笑っている。

「何か質問はありますか?」と聞かれれば、すかさず手を挙げ「すみません、私貧乏なのでお金が欲しいんです。お二人はいくら稼いでますか?」と下品極まりない質問をするなど、どうせもう彼らと会うこともないだろうと割り切り、時間いっぱいやりたい放題をした2週間後にその銀行から内定を得た。

「銀行員からバーテンには戻れるけど、バーテンから銀行員にはなれんよ」という先輩の一言があっさりと私に突き刺さり、これにて一社しか受けていない私の就職活動が終わった。「当行始まって以来のギャンブル採用」と担当の人事部員に言われたことが懐かしい。今思えば悪癖の効用なのかもしれない。

その後の配属面談も、悪い虫が騒いでやりたい放題してしまった。銀行の本店に呼び出され、3人1組で人事部と面接し配属の希望を聴取される。いままで会ってきた人事部員と比べてだいぶ年齢がいっている印象の人との面談だった。後で知ったのはその人が人事部の副部長だったらしい。

東大、東北大学の同期と、そいつらに比べれば虫ケラみたいな学歴の私の3人で面接室に入った。彼らの学生時代の経歴は美しすぎるくらい綺麗なものだった。インカレ(私は途中までインドカレーの略だと思ってた)で全国何位だとか、英語学習のためにイギリス留学してたとかそんな内容だった。品もある。

それで私の番。「じこばすくん、君がこれまで頑張ってきたことは?」今までのエリートたちの流れでこの質問は本当にきつかったが、もう普通にしててもしょうがないので、ここで早々に悪癖スイッチオン。「私は家庭が崩壊したので、早々に家を出てお二人とは違う地獄みたいな生活を生き延びてきました」

「英語学習したくても留学できるカネも後ろ盾もないので、朝3時までBARで働いて、始発まで六本木の飲み屋で外国人のオネエちゃんをナンパして英会話を覚えました」「街で皆様がすれ違えばソッコーで目を背けるレベルの不逞の輩が私の英語の先生です」「持ってる資格は生ビール職人の資格です」

相手が頭の硬い人だったら一発アウトだったのだと思う。でも、運が良いことにその副部長は私の回答に腹を抱えて笑っていた。「配属エリアの希望はあるか?」。東大も東北大も揃って「東京」と回答。そりゃそうだ、都銀なのだから東京に出世のチャンスは広がっている。でもそんな事実を私は知らない。

「東京でもこれだけ美人に会えるのだから、全国にはどれだけ美人がいることでしょうか。全国の美女に出会うためどこへでも行きます。希望は東京以外です。」と私は答えた。あまりにもふざけすぎた回答をした自覚はあったが、入行後東大は大阪、東北大は仙台配属。東京に残ったのは私だけだった。

その後もことあるごとにブッコんではいろんな人にクソほど怒られて、時には先輩にブン殴られて、それでも懲りずにブッコんで、妻にもこっぴどく怒られて、それでもブッコンで今も生きている。ブッコミ癖があると周囲にいる人間も濃くて面白い人しかいなくなる。ブッコミバンザイ。反省してないじゃん。

おしまい


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