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本の風景「春の道標(みちしるべ)」1981年

「老春」


黒井千次(1932年)は73歳の時から、「老い」について語り始め、92歳になった今も続いている。彼は語る。「つまり自分は80代半ばの詩的世界から、90代初めの散文的世界へ移行した」と。彼はそれを「老春」と名付ける。

春の墓標

倉沢明史(あけし)は高校2年生。一歳年上の慶子と付き合っている。ある日、突然口づけをされ、彼は歓喜する。しかし、やがて戸惑いが彼の心を覆い、書き送る。「親友でいたい」。慶子のたよりは途絶える。
 明史には密かな心躍る風景があった。毎朝、灌木の連なる小径の彼方から、その少女は軽やかに歩いて来るのだった。ある日、自転車に乗る彼の前に、突然彼女が現れる。彼女の名前は「染野棗(なつめ)」、中学3年生だった、この年、公立高校の男女共学が認められ、明史は彼女に同じ高校への進学をすすめる。ある日、灌木の小径の先の丘の上で、棗は「好き」という言葉と共に明史の口唇を求めた。そして、何事もなかったような時間が過ぎた。合格の決まった日、明史は棗を丘の上に誘った。二人は口唇を求めあった。そしてカーデガンの上から触れた明史の手を、棗はゆっくりとスリップの内側に導いた。明史は「薄赤い頂に口唇を触れた」。しかしそれ以降、棗との連絡が取れなくなってしまう。数日後ようやく会えた棗は明史に告げる。「もうあの丘には行かないわ」、そして言う。「お友達になってくれる?」    

内向きの世代

小田切秀雄は、「自我と個人的な状況の中にだけ自己の手ごたえを求めようとしており、脱イデオロギーの内向的な文学世代」と黒井千次、小川国夫、古井由吉らを「内向の世代」と批判した。しかし時代そのものが脱イデオロギー化へと向かい、彼らの存在感は重みを増したのだった。黒井千次が『五月巡歴』を書いたのは45歳の時だった。大手企業に勤め、平穏な家庭を営む主人公に、大学時代にかかわった「血のメーデー事件」という過去の時間がふと流れ込む。そこには二種類の時間が存在する。ふたつの時間は秘められた小さな挫折を共有する。
 『春の道標』は48歳の時に書かれ、時間は30年遡る。宮本輝はこの作品を「清潔な蠱惑」(『解説』)と評する。そこでは「時間が洗い出され、漂白されてしまった」と。青春という時間の風景は「老い」の時間に蘇る。それは、いつの時も「初体験」の風景なのだ。「老春」もまた、散文的ではあるが、「青春」と同様、「初体験」に満ちている。(大石重範)

(地域情報誌cocogane 2025年1月号掲載)

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地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)


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