マクロとミクロのフラクタル構造とその調和についてふと考えた
最近、ある方からスゴイ動画を教えてもらった。
Powers of Ten with German translation - YouTube
10秒ごとに10倍距離を拡大していくと、
僅か数分で銀河系を抜けて暗黒の不可視領域に到達してしまうが、
逆に、一人の體の中を10倍ズームで覗いていくと、
これまた不可視領域にまで到達してしまう。
これを観ていて、人体に中にも宇宙と同様の構造が成立していると思った。
つまり、マクロもミクロもどちらの世界も視点を拡大縮小すれば
同じような構造を持つフラクタル(相似形)ではないか。
宇宙も人体もフラクタル構造であるならば、人体にとって調和ある生活、
要は健康的な生活をしていれば、環境とも調和できるのではないか。
私は以前、「本来の努力とは、「奴の力(努の分解)を借りる」ことだ」
という記事「奴の力」を借りる|時間価値創造家を書いたが、
環境などの自分の外側にある「奴の力」を借りるには、
まずは自分の内側にある宇宙と相似形である仕組みの「奴の力」を
大事に活かすることではないかと考えている。
宇宙も人体もフラクタル構造ならば、
そのマクロとミクロの双方から「奴の力」を有難く活用することで、
物事は上手くいくのではないか。
そして、これこそが「調和的な生き方」ではなかろうか。
余談だが、私は為替のチャートを観察するのが好きである。
この面白さは、相場チャートという人間の心理から
構成されるものであっても、フラクタル構造を感じられる点である。
例えば1本の月足の中に様々な日足の値動きがあり、
更にその日足の中には、様々な時間足の値動きが含まれており、
しかも、長期足と短期足の波の動きはどこか似通っている
つまり、相場(為替に限らず株式等も)の値動きというのも、
自然界のようなフラクタル構造となっている。
なので結局、長期足と短期足の目線の方向性が一致するポイントでの
エントリーに優位性が傾き、有利なトレードを展開しやすいようなのだ。
そういう意味でも、
「マクロとミクロのフラクタル構造を踏まえた上で、
その双方との調和を図る」ということが、大事なのかもしれない。
宇宙開発を盛んに行い、他の惑星への移住計画を進めるよりも、
まずは、マクロとミクロのフラクタル構造を理解し、
双方の「奴の力を有難く活かす」ことで、
十分地球は住み良くなるのではないかと思っている。
なんだか、壮大な話しになってしまったが、
地球外の宇宙空間にしろ、自分のコミュニティにしろ、自分の健康にしろ、
経済活動にしろ、いろんな規模の営みにおいて、
マクロとミクロは、フラクタルに繋がっている。
と仮定することで、
自分の振る舞い自体も世の中に影響を与えうるし、
調和的に生きることで、マクロとミクロの世界の両者の流れを味方にでき、
物事はスムーズに運ばれていくのではないかと実感する今日この頃である。