概念をハッキングする効果
概念というものを考える大きなきっかけとなったのが、
ある人が言っていた「車酔いのエピソード」だ。
その人は少年時代は車酔いなどなく、
揺れる車中の中でも、ギトギトしたフライドポテトをつまみながら、
平気で漫画を読んでいたそうだ。
ところが、車中にいた大人同士が、
「車酔い」を話題にしていたので、
子供の好奇心から、「車酔い」という未知の概念について
大人たちに尋ねたそうだ。
その説明を受けて「車酔いの概念」を知ってしまったとたん、
何とその少年は気分が悪くなって、戻してしまったそうだ。
その人曰く、
「あの瞬間に車酔いという概念が自分の中に宿ってしまい、
車酔いの症状が現象化してしまった」
とのこと。
その話しを聴いてみて、概念というものに興味を持ったのだが、
私の中で、これは成功例だと思える概念を逆手に取った事例がいくつかある。
その一つが、「脱花粉症化」である。
私は小学校5年以来、30年近くも毎年花粉症に悩まされ続けてきた。
しかしこの車酔いのエピソードの御蔭で、
「人間は概念によって、それを示す現象が呪縛化されるのならば、
逆に概念を解体する発想でもって、呪縛を解除することも可能ではないか」
という仮説を立てることができたのである。
実際、花粉症真っ最中の時期であっても、
四六時中その症状が出ているわけではない。
何かに没頭している時などは、花粉症であることを忘れたかのように、
何時間もくしゃみや痒みを感じない時が確かにあったのだ。
だとすれば、「花粉症の概念が一時的に亡失された状態」があり、
その状態を長引かせて、花粉症への概念を弱めていけばよいのではないか。
となると、
クシャミがでても、「これは単なるクシャミだ」という感じで、
花粉症という概念にクシャミという根拠を紐付けず、
私の中の花粉症を育まないようにすればよさそうだ。
手品のミスディレクションのように、注意を反らすことで
本当は存在するものさえも、まるで存在していないように
脳を騙すテクニックがある。
これを花粉症に応用してみたいと思ったのだ。
そう考えて実験してみたところ、その効果は絶大であった。
実験初日から花粉症を認識する時間を1~2割減らすことができたので、
この仮説に手応えを感じ、2日目は3割減という風に着実に実証していった。
そして実験から1週間ほどで、従来の症状の8割以上を抑えることができ、
現在に至るまで、花粉症に悩まされることはなくなったのだ。
この方法は風邪にも応用している。すこし悪寒がしても、
風邪のシナリオを脳内で先取りせず、淡々と體を温めたり、緩めたりして
血行を良くすることに意識を集中させるだけ。
それまで自分の中に固定化されていた、
「最初に悪寒と共にのどが痛くなり、その後熱発し、咳に移行し、
痰を出して収まる数日間の症状」という「風邪の概念」に対して、
「緩む、温まる、流れる」という健康の概念をぶつけることで
「脱風邪化」を計るようにしたのである。
そのお陰で10年以上無風邪で過ごせている。
(不覚にも途中一度だけインフルエンザとコロナには感染したが)。
これは病気という概念全体にも応用ができそうだが、
実はそれ以外にも「苦手意識」というものも応用できている。
私は、高校入学以来、あの公式の丸暗記+ひたすら面倒な数理的計算の訓練のような授業にまともに参加する気になれず、テストでは常に赤点、
数学の授業中には「お前は問題演習に加わらなくていい」とサジを投げられるほどの数学劣等生であった。
そんな私だったので、数学というものの前では自己肯定感が下がってしまう。だから、「数学的なもの」については、拒否反応が起きていたのだ。
ところが、社会人になり、ふとした機会に、
ある人から「数学とは翻訳である」という定義を聴き、
そこから一気に数学に対する固定概念が変革し、
数学的思考に興味が湧いてきたのである。
今までは敬遠していた、数学的思考を取り扱った教材なども
積極的に学習し、時間価値創造理論に組み込むようになった。
どうやら私は、言語的な処理に対しては知的好奇心が働きやすく
だからこそ、この新たな定義によって、「数学=機械的な数理的処理のつまらない学問」という私の中の固定概念を見事に書き換わったのだと思う。
このように、自分の中に呪縛のようにあった概念を解体したり、
再構築することで、体験できる世界はガラリと変わることを体感してきたのである。
概念は呪縛にも解放にもなりうる諸刃の剣だと思う。
だからこそ、自分にブレーキをかけている概念を突き止め、
自分を活かす方向にホワイトハッキングする技術を体系化していきたい。