「何かを創り出す資格とは」

 私は6年前まで、

「何かを創り出す人」というと、特別な才能や莫大な努力、
苦痛に耐え続ける根性、崇高な精神性など、
「卓越した要素を持っている人」だと思っていました。

 だから私は、ビジネスや芸術や趣味などの活動で、
「作品とも言える何か」を生み出すという事に対して、
強い憧れを抱いていたものの、「自分には無縁な事」
として半ば諦めていました。

 色んな分野においても、「作品」を生み出すには、
生まれながらの才能や高い人間性という「資格」が
必要だと思っていたからだし、私自身の人生を振り返ってみると、
こうした資格とは全く無縁だと思っていたからです。

 集中力も忍耐力もなく、勉強嫌いでスポーツもできず、
人間性を高める努力を怠ってきた学生時代。

 社会人になってからも、せいぜい責任感で与えられた仕事を
処理するくらいで、 何か新しい価値を生み出そうという情熱や
創造性とは無縁なあり方でした。

 しかし、「自分には何か作品を生み出す資格はない。」という思い込みと、「 何か作品を生み出したい」という想いのジレンマというのは、
非常にモヤモヤしたもので、これがさらに自分のエネルギーを奪い、
目の前の事にも集中できず、 生き辛さというのを増幅させていました。

 このジレンマを何とかしようと、6年前に必死で編み出した策
というのが、「時間価値創造家」という「何かを創り出す人」
としての肩書きを自分で勝手に名乗り、名刺を作ってみたことでした。

 この、「側から見ると、子供じみていてくだらない取り組み」
が想像以上に私に色んなものを与えてくれました。

 あれから6年経った現在、6年前に思い込んでいた
「何かを創り出す人が持っている卓越した要素」というのが、
私に身についたかは分かりませんが、

 少なくとも、「どっちつかずのジレンマ」からは解放され、
自分のエネルギーと時間の使い方は良くなってきたという
自信は得られました。

 結果として、6年前の自分よりも、
「作品を生み出すための資質」は高められたとも思います。

意外な事に、全く関連性がないと思っていた当時の本職にまで、
良い影響が及んでいるのを実感できたのは嬉しい事でした。

 この6年間で得られた素晴らしい出会いと自分なりの愉快な冒険を
鑑みても、私の方向性は間違っていないし、
必ず、自分の作品を生み出すことができると確信できるように
なりました。

 私が実感した事として、
「自分自身を深堀りし、自分に肩書きを与える」
ことこそが、

「何かを創り出すための資格」ではないかと強く思っています。

 ですので、かつての私のように、
「どっちつかずのジレンマ」に悩んでいる人にも、
「勝手に肩書きを名乗ってみる」ことをお勧めしたいと思っています。

 今、私がやりたいのは、
「勝手に肩書きを名乗る人達を増やすこと」です。          

 そこから、「愉快で痛快な冒険の循環」が生まれていくと信じていますし、そこに自分のエネルギーと時間を使っていきたいと思っています。

これが、私の「人類アーティスト化計画」の大元の考えでもあります。


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