自由というのはストレスと感じるものの中で育めそうだ~リアルRPGのススメ~

私は格闘術のコンセプトを知ることに興味があるのだが、
ロシアの格闘術「システマ」は、
非常にシンプルでありながら独特でしかも奥深い。

システマでは「ブリージング」という呼吸法を重視しており、
打撃による痛みや恐怖をそれによって散らし、リラックス状態を生み出し、心身の居着きを無くしていくというコンセプトである。

随分昔になるが、このシステマの体験レッスンに参加したことがある。
そこで驚きの練習法に遭遇したのだ。

それは、うつ伏せに寝た状態でムチを打たれ、
その時に意識を痛みではなく、呼吸に集中するというものである。

ここで、当然、「なぜ、ムチを使うのか?」という疑問が浮かぶだろうが、
ムチというのは、その特性から、手加減すれば、傷を残さずに苦痛だけをを与えることができるからである。つまりこの練習で用いる教材として優れているのである。

実際にムチで打たれてみると、手加減してもらってはいるとはいえ、
その衝撃は結構なもので、思わず體がのけぞるくらいに痛い。

それは至極当たり前の反応ではあるのだが、
インストラクターからは「ブリージングして!」と指導される。

意識を痛みに絡めとられるか、
それとも新たな選択として呼吸に意識を向けるのか。

普通の生活ではこういう体験はまず行わないだろう。
あまりに特殊な状況ではあるのだが、
だからこそブリージングを練習するわけであるし、
システマを学ぶには、「呼吸に意識を向ける」ことを選択せねばならない。

そこで、痛みへの注意を振り払うように、
思い切って呼吸に意識を向け直すのだが、

面白いことにブリージングに集中していくことで、
さっきまでのヒリヒリとした痛みが、ピリピリとほのかな痺れに変化し、
さらには、じんわりとした温かさに代わっていったのである。

これを「呼吸によって痛みや恐怖を散らす」というそうだが、

百聞は一見に如かず。百見は一行に如かず。
こればかりは、実際にやってみないと分からない。
自分の體でもって実際に体験してみないと分からないことが確かにある。
このことに心から納得できた。

システマは軍隊で編み出された技術であるため、
戦闘術のみならず極限状態でのストレス対処法としての側面もある。

だからこその説得力であるが、
古から言われている「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか「病は気から」
ということわざも、あながち精神論だけではないのかもしれない。

ムチで打たれる痛みというのは相当なストレスであるが、
痛みと呼吸のどちらに意識を向けるかという選択権は
自分に与えられており、そのどちらを選んで実行するかによって、
痛みに囚われるか、リラックスに変換できるかの運命の分かれ道となるのだ。

このことを体感を伴って理解できたことは、本当に大きな収穫だった。

「ストレスは反応の選択によって対処可能である」ということを、
この過激な体験練習の御蔭で端的に学ぶことができたのだが、
この学びはその翌日、職場で早速応用することができた。

当時、私の職場には、パワハラ気味の上司がおり、理不尽に突然怒鳴りだしたりされていたのだが、この上司と接する際に、ブリージングが大いに役立ったのだ。

もちろん緊張はするのだが、これまでと違い、「自分は緊張するだけでなく、新たにブリージングという選択肢を手に入れている」という意識で臨むことができたわけである。

この意識の変化自体が、私の中では非常に大きいもので、
威圧的な存在を前にして、ただ緊張するだけだったのが、
呼吸でリラックスできる可能性を選べるようになったことに、
自由を得たような解放感を感じたのだ。

「呼吸は肉体から心にアクセスする有効な手段である」とは
誰しも一度は耳にしたことがあると思うが、

頭だけの理解だとこれを実践レベルで活用することはないだろう。
しかし、あのムチ打ち体験があったからこそ、
職場の修羅場で実践できたのである。

最初の実感としては、緊張が1割程度軽減された感じではあったが、
大事なのは、上手い下手ではなく、
従来とは違う選択肢を選んで、自分をラクにすることができた
という事実である。

この変化が嬉しくて、それ以降もその上司に接する時は、
ブリージングを実践するようにしたのだが、
段々と自分の中で心の余裕が生まれてきて、

「自分が変われば相手も変わる」の言葉どおり、
その上司も私に対する態度を改めるようになったのである。

ブリージングの概念を知るまでは、ストレスはストレスでしかなかったが、
これを学んだことで、ストレスの中でこそ「選択の自由」を味わえるのだと思えるようになった。

自分の身に降りかかる、ストレスと思えるような出来事や不快な刺激というのは、実はそれ自体が100%ストレス要素とは限らず、
そうとも限らない部分も含まれているようだ。

そこで理性を働かせ、ストレスとは限らないかもしれない部分にフォーカスすることで、これまで思いも寄らなかった着想や気づきを得ることがある。

この理性の働かせ方というのは、RPGに例えると、
魔物と戦うための呪文のようなものだと思う。

ストレスを魔物と見立て、
理性という呪文を使って魔物を倒せば、
経験値を稼ぐことができる。

それを繰り返していけば、レベルアップし、自分の冒険の舞台も変わり、
新たな人と出会ったり、強力な装備を纏っていく。

ところで理性をちゃんと発揮させるには、
MP(マジックポイント)が必要だ。
RPGと同様、これが無くなったら、
魔法(理性)を使うことができなくなる。

だからこそ、普段からMPの浪費に気をつけ、
MPを回復させることが大事になってくるが、

MPの浪費防止のためには、生活習慣を見直すこと。
MPを回復するには、休息したり、自分と向き合う時間を持つことである。

もし、理性を働かせず、ただ理不尽なストレスに苦しむだけであったならば、この経験値稼ぎの機会を逃し続けることになる。
思うに、うつ病というのは、MPが枯渇した状態で無理な戦いを続けた結果に陥ってしまう状態ではなかろうか。

職場等のストレスに悩む人がいたら、
是非、自分の日常をRPGに見立て、
ストレスを経験値稼ぎの場として活用し、
その中で理性を働かせるための「自由」を味わって欲しい。

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