「時間価値創造」に至った経緯③ (アーティストとしての肩書き)
(その②からの続きです)
さらに、私自身が何者かという己の本質についても考えました。
私は当時、県庁に勤める公務員でしたが、自己紹介をする際
「○○県庁の△△課で□□の業務をしています。趣味は◇◇です」
というありきたりな内容に、いささか辟易している自分がいました。
そこには、私個人の本質など含まれず、社名、部署名という単なる「記号」情報しか含まれていないからです。
折角、人と出会う機会があっても、そんな記号だけの情報交換では
誰の印象にも残らなくなるでしょう。
いわゆる社会的な肩書き以外の「本質を語る肩書き」
というものが欲しいと思っていました。
そこで、浮かんできた肩書きが、「アーティスト」です。
私は、彼らのことを、「何者にもとらわれず、自由に自分を表現をする人達」と思い、憧れていました。
でも、その一方で、
「アーティストを名乗るには、音楽や絵画などの才能がないとできない。
所詮は自分とは無縁の人達」
と思い込んでいたのです。
私は、音楽も絵も上手くできません。でも、何とか「アーティスト」
を名乗れないだろうか。
そして、次の考えに至りました。
「音楽や絵画というのはアートの一手法であり、そのいずれかができないと
アーティストを名乗れないというのは、おかしい。
そもそも音楽一つとってもいろんなジャンルがあるし、
演奏技術だってそのアーティスト間でレベルに大きな差がある筈。
ならば、やっているアートや技術レベルというのは、
アーティストの資格に関係ないのかもしれない。」
これを踏まえると、私もアーティストの仲間入りができそうです。
やっていることや技術に関係なく、もっと根本のところに資格がある。
そう気づいた私は、アーティストの条件として次の3つの要素を考え出しました。
① 何かにこだわって、それを研究したり実践していること
② ①の取り組みを外部に発表していること。
③、②の取り組みの目的の中に、「誰かをインスパイアしたい」という思いが含まれていること。
①だけだと、単なるオタク。
②までだと、大学の先生。
③までいって初めて、アーティストなのです。
誰かをインスパイアしたいという思い、これがないと自分の作品も生きて来ません。
逆にこれさえあれば、①と②の部分は自ずとついてくるのではないでしょうか。
さて、このようにアーティストを定義すると、世間一般で言われているアーティストは勿論、私もアーティストの範疇に含めることができるような気がします。
これは我ながら大きな発見だったと思います。
誰でも、才能に関係なく、自由なアーティストになれるのですから。
そう、誰でも思いさえあればアーティストになれる。
この自由さが大事なのです。
才能などなくてもかまいません。
収入とか地位とか学歴とか、そんな社会のかっちりした枠組みから
一度飛び出てみないと自分自身の持ち味など追及できません。
アーティストを名乗るということは、そのための手段なのです。
「○○会社の社員としての自分」ではなく、
「独自のアートに取り組む、アーティストとしての自分」
を意識するだけで、自由になれるのです。
このようにして私は、40才(当時)を目前に、
「時間価値創造アーティスト」として
生まれ変わったのでした。