劣等感が全ての始まり
どうも。自家発電三郎です。
劣等感から全ての起点であり、始まりである。
これは、全ての物事においてほぼ言えることなんじゃないかと思っている。
何故劣等感が全ての始まりかと言うと
遡ること。中学生の頃である。
思春期真っ只中で、異性にカッコよく見られたいということが盛んで、スポーツや運動に優秀な奴がモテたりとか、少しオラオラ系なヤンキーな奴がモテたりとか、何かともてはやされる時期である。
しかし自分は上記の経験なんて出来なかった。
寧ろそういう立場じゃなかった。
運動もダメだし、勉強なんて正直出来なかった落ちこぼれ生徒だったからだ。
自分の感情コントロールが上手くいかず、よく他の生徒とケンカしたり、トラブル起こしたりと先生からは問題児扱いにされ、周りの生徒からは冷ややかな目で見られてた。
常にダメな奴というレッテルが付き纏っていた。
仕舞いには小学校からやっていた野球ですらもレギュラーおろかベンチすらも野球未経験者に奪われる始末
自分の得意なことがすべて喪失した瞬間だった。
ふと心の中に問いかけた。
自分にとって何が生きがいなのか?と
運動もダメ、勉強もダメ、周りからは出来ない奴というレッテルを貼られ
何もかもが劣等感で毎日の日々を過ごしていた。
なんで自分ばかり!と自分自身の怒りが空虚のように悲しかった。
何もかもが全てを失っていく。
悲しかった全てが憤りを感じていった。
けど時は待ってくれなかった。
中3の進路選択
僕の成績は絶望的だ。
五教科の成績がオール1に近い
果たして高校に行けるのだろうか?
けど高校は行きたかった。
ふとある時に両親からとある学校を紹介してくれた。
主に不登校や成績が落ちこぼれた生徒が対象の学校だったらしく、選考は学力試験ではなく作文と面接で合否をきめるものであった。
勿論学校出てる成績(内申点)なども不要である。
しかし、僕にはここに行くしかなかった。
いや、寧ろここに行かないと行けなかったのだ。
劣等感から抜け出すために
劣等感から抜け出さないと自分はどんどん卑屈で蔑んだ大人になるのではないかと危惧した。
それだけはなりたくなかった。
何かを変えたかった。
今のままじゃ昔と変わらないからどこかで変わらなきゃいけないと感じた。
僕は必死だった。
そして、面接と作文の練習に励むことになり、しっかりと受け答えや、作文の問題傾向を元に日々練習に励んだ。
そして、試験当日。
手応えは正直言って自信があった。
中学時代喪失した自信を取り戻すような手応えだったことは忘れもしない。
そして合否当日。
掲示板を見渡すと自分の受験番号が載っていた。
受かった。受かった。2度心の中でガッツポーズした。
そうここがゴールじゃなく、スタートの始まりであった同時に劣等感への脱却を決意した。
15歳の春のことだった。