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【ショートショート】泥沼に剣を突き刺す

 魔王が死んだ。王国から選ばれた勇敢な青年が、同様に勇敢な仲間たちと過酷な旅を乗り越え、手強い手先を倒し、その度に成長し、ついには邪悪の喉元に剣を突き刺した。そのニュースは彼らが帰還するよりも早く王国に届いた。国中、いや、世界中の民は大喜びし、貴重な酒を、干していない柔らかな羊肉を、そして家族と、隣人とそのを分かち合った。街は連夜お祭り騒ぎで、飲食店はこぞって出店を出し商店は勇者が使った薬草などと謳い文句を付けた商品を売り出した。人々は歌い、踊り、飲み、食い、勇者の一行とその栄光を分かち合った。
 長年魔王軍の影響を直に浴びていたこの村はより一層盛り上がっていた。この村は魔王軍の領土に最も近く、どの集落よりも危険だが、同時に誰より先に勇者達の戦いの傷を癒せることのできることを意味する。村人たちは勇者達を労ろうとせわしなく動いていた。それは英雄を讃えるため。下心も下賤な感情もない、唯一ある感謝の心に動かされたためである。
 その喧騒で目が覚めた。固く窓を閉ざして光を遮っても声は防げない。毛布を深く潜って再び眠りにつこうとするも、それが無意味であることに気付くのに時間はかからなかった。仕方なく起き上がる。といっても何をするでもなく、自分の中の意識を「覚醒」にしただけだ。街の男衆は獣肉を取りに山に入り、女たちは大鍋を用意し、この肉を煮込んでいる。香ばしい匂いが部屋に入り込む。だがこの閉じきっているこの部屋では、カビの臭いと混ざって吐き気を催す香りになった。 不快だ。勇者も魔王も衆愚も。片方の、付け根から下が無い脚だったものの断面に爪を立てる。鋭い痛みが身体を走り、膿が指を伝う。
 「勇者」。その言葉だけはどれだけ意識しないでいようと避けようと、一度耳にすれば、はっきりとしていなくても勝手に脳がその輪郭を型取り、情報として俺にぶつける。まるで脳みそに蛆虫が沸いたみたいに、騒ぎ、蠢き、狂わせる。
 俺は勇者だった。世界の平和を守るため、平和を脅かす魔を討ち取れよと国王を通して神から使命を賜った、多少剣の腕が立つただの青年だった。
 浮かれていたのだろう。未だ人格も価値観も形成されていない柔らかな人間が、最も強い力でいいように形を変えられたら、それを正すのにより大きな力が必要だ。例えば、苦楽を共にした家族同然の仲間が殺されるとか。自分を受け入れてくれた恋人を文字通り潰されるとか。
 俺には仲間がいた。国から派遣された戦士。初めはアイツの大雑把な性格が気に入らなかった。寝袋も俺のを勝手に使うし、余りある力で食器はすぐに壊す。だが、戦闘では一番前に立ち、一番傷を背負う。アイツのことを嫌いになんてなれやしなかった。
 魔王との戦いで、俺の指示のミスで死んだ。
  筋力はアイツが一番高かったから初撃は任せ、ぐらついた隙に二撃目を間髪入れずに叩き込む算段だった。だがそれは叶わなかった。向かってきた戦士に魔王はヤツ自身の魔力が練り込まれた剣を振り下ろした。戦士はそれを斧で受け止めたが、それが敗因だった。魔王の魔力は聖剣に選ばれた者にしか受け止められず、それ以外の者が食らうと即死らしい。つまり、最も勇敢な者、即ち勇者が先頭に立って戦わなければならなかったのだ。
俺が、殺した。
 魔法使いとは海辺の町で出会った。彼女は俺達の中で一番しっかりしていて、でも一番弱かった。
彼女が秘密を打ち明けてくれた夜、心の奥の奥の柔い部分を見せてくれた夜。銀の月光に揺らいだ水面の様な涙。俺は彼女を強く抱きしめた。腕の中に感じる温もりを、決して冷やさないと誓った。
 魔王によって真っ先に潰された。魔王は小細工を衒う魔道士を嫌っていた。背丈以上ある鉄塊の様な剣で文字通り潰した。円状にひび割れる床と血とが混じって、どこからが瓦礫で、どこからが彼女か分からなかった。あのとき飛び散ってきた血液の温度は、あのとき抱きしめたものとおんなじだった。
 もうその時には逃げることしか頭になかった。本能が俺を急く。だが魔王はその術を殺す。片方の脚が持っていかれた。痛みと衝撃でうずくまる。床の埃が口に入った。だがその時、帰還の羽という魔術具を持っていたことを思い出した。俺はそれを使い、命からがらこの村まで帰ってきた。
 勝利の報せを待ち望んでいた村人は、血だらけの元勇者を見て何を思ったのだろう。目を合わせられなかった。
 村人たちは俺に隠れ家を提供してくれ、傷の手当もしてくれた。魔王軍に察されないように、慎重に薬草や川の上流の水などを取ってきてくれた。見つかったら殺されるかもしれないというのに彼らは献身的に支えてくれて、傷も疲れもゆっくりだが着実に回復していった。
 その間俺は、何も考えていなかった。考えることなどできなかった。
 口から、鼻から、へそから、頭から泥が垂れ流されて白いシーツの上に溜まり、拭っても拭っても泥は止めどなく溢れるし、だからもうそのままにするしかなかった。泥はやがて部屋中に満ちて、圧力で動くことすらままならなくなった。泥だから、寝やすかった。
 ある日、泥がピタッとやんだ。王国からの知らせで、新たなる勇者が神から選ばれたらしい。身体の内側であんなに時化っていたのに凪ぎ、部屋に満ちていた泥は窓からすーっと出ていった。なんで俺の泥は、止んでしまったのだろう。
そして今日、魔王が死んだ。
 歓声が外から聞こえた。勇者の御一行が帰ってきたらしい。この声の大きさは、恐らく3人分、勇者、戦士、魔法使い分大きい。
 逃げるようにベッドに潜り、毛布を覆い被さる。脚の断面に強く強く爪を立てる。鋭い痛みが身体を走る。
更に強く握りしめる。何度も、何度も。
泥が止まらないように。
うずくまってていいように。

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