低学歴国、日本 博士課程進学者、ピーク時の約半分に ニュース拾い読みX
もう何年も日本の問題として言われ続けていることの一つとして、「低学歴化」があります。具体的には、大学院への進学(博士号の取得)者が減っていること。
それで、この記事に対するSNSの反応として、「体験者」「未体験者」からさまざまな意見が飛び交っていたのですけれど、おそらく「未体験者」からと思われる「とある意見の多さ」が私は、気になりました。
(こちらのTJO氏は、「体験者(当事者)」の意見であるようです)
「とある意見」とは、「大学院への進学、あるいは博士号を取得した先の道がない」というものです。具体的には、就職先がない、あるいは有利に働かない(不利になる)、生涯賃金が上がらない、などの意見です。
この「とある意見」を「未体験者(大学院に進学していない、博士号を取得していない)」人の意見と感じた理由は、「当事者(院卒、頭の良い人たち)であればそんな低次元(就職)のことで進路を変えるわけがない」と思うからです。
いや、もしかすると、「箔がつく」という理由のためだけに大学院へ進むか否か決めることが常識なのだとすれば、私の認識不足であったとしか言えません。
「いやいや、もっと勉学に勤しみたかったけれど、先が不安だから」という理由で断念されているのであれば、それはかわいそうなことであり、どうにかしなければいけません。
お金があればやってない
人生においての不安を考えた時、「お金」は大きなトピックであると思います。もしあなたが、お金持ちの家に生まれ、自由に道を選べるとして、「それなら迷わず博士課程に進む」ということであれば、それが本来の望みであると思います。
しかし現実には、お金がなく、道半ばで就職という進路をとることとなり、「お金があったらやってない仕事」をする人生をおくる事になるのでしょう。
奴隷を製造する
私が冒頭に、SNSのコメントで「経験者」「未経験者」が混じっていることを強調した理由、それは、「何気ない奴隷への誘い」が混じっている事に注意すべきだからです。
不安定な仕事、たとえばお笑い芸人や俳優、スポーツ選手など将来どうなるかわからないことを目指してみたいとき、唯一の不安と言っても良いものが「お金」であると思います。
20歳の時点で、「このまま50歳になり、いまだに、バイト暮らし。もちろん結婚もできなかった。貯金もない。病気になったら終わりだな」という人生を想像したりするわけです。
この想像は、「他者から与えられたもの」以外に考えられません。
なぜ、こういう不安を与えるかと言うと、支配者層は、奴隷が欲しいからです。
王様がピラミッドを建てる、殿様が城を建てる時、自分で作業するのは大変ですから、奴隷が必要です。
ここで、奴隷と非奴隷の違いを明確にしておきます。人のために働くから奴隷、ではありません。「やりたくないことだけれどお金をもらえるからやる」、と言うことが奴隷であり、そこに待遇の良し悪しは関係ありません。これは現代でも通用する奴隷の定義であると思います。
こういった「なんとも言えない不安」を材料とする奴隷への誘い、あるいはすでに奴隷をやっているものたちによる「無意識の同調圧力」などもあって、「博士課程はやめた方がいい」と言うコメントが多くつくのだと思います。
一方で、冒頭の方で引用させていただいた「経験者」からの「激しく同意する」意見もありますので、詳しい話はそういった当事者の方々に譲りますが、私はとにかく、なるべく多くの人、はっきり言えば全員が「好きなことをやれる」ようになれば嬉しいです。
なぜなら、人間は好きなことをやる時に、とてつもない集中力や能力を発揮するため、絶対に今より良い世の中になるわけで、同じ世界の住む私としてもメリットがあると言うことです。
ただ、一点だけ、自己責任ということは言わなければいけません。
「お笑い芸人を目指していいと言われたから、そうしました。その結果、30年経って売れませんでした、あなたのせいです」ということは通用しません。なぜなら、最初の時点で、「人に言われたから」という要素が含まれてしまっています。
やりたいことをやってみるのか、それとも30年後の自分を考え、お金のための仕事を選ぶか、それもまた自由なのです。その自由がない国もあるわけですから、我々はラッキーな立場であることだけは確実だと思います。
それではまた。