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50年前の須川岳に難病で闘う友がいた

毎日少しずつ、古いフィルムをスキャンしている。
しばらくは、スキャンした写真の投稿が続きそうだ。

50年ほど昔、友の招待で、五月の須川岳に出かけたときの写真だ。
学友であり、岳友でもある彼は、常に冷静沈着で、格好良かった。
その友から、須川岳で山スキーするべえ、との誘いだ。
南側に広がる大斜面、快晴無風で、止まっていても汗が出る陽気。

ザラメ雪はむずかしい
それでも山男は滑るのだ


秣岳まで脚を延ばしたり、気ままにスキーを楽しんだり、食べたり飲んだりの、気の置けない仲間との遊びは、50年も昔のことなのに、いま思い出してもニヤニヤしてしまう。
そんな場面の写真が出てきた。
撮影者は自分自身なはずだけど、こんな写真を撮っていたとは、すっかり忘れていた。
写真をみると、暑そうだ。
そして、楽しそうだ。
友が、大声で笑うことは稀な、シャイな奴が笑っている。

雪洞を掘ったりイグルーをつくったり
今夜をいかにして楽しむか

みんな揃って登っている。
みんな本気でなんか登っていない。
適当なところで雪洞を掘って、泊まろうというのだから、適当なペースで歩きながら、ごや話しをしては、ドット受けたり滑ったり。

たった一泊なのにすごい荷物だ
みんな食い物と酒なのだ
どれだけ飲んだか覚えていない



そんな元気だった彼が、60歳をすぎたある日、突然の難病に罹り、5年以上も寝たきりになっている。
なにもできない自分が不甲斐なく、落ち込んだ時もあったが、いろいろと考えて、岳友の彼にふさわしく、山に登って頂上から無事を祈ることをはじめた。ただ、彼の住む南の方に向かって、両の手を合わせるだけだ。
それまでは、年に数回程度の山登りが、年に20回とか30回になった。
人がいる山を避けるのは、祈りの妨げになるからだ。
最近は、静かな山を彷徨していることすべてが、祈りだと思うようになってきた。頂上にこだわらず、ときにはブナの大木に手を合わせたりする。
大きな岩に向かう時もある。
そのつど写真を撮って、見えない彼に見せているつもりだ。

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