令和を生きる子どもたち
平成が終わりを迎え、令和時代がやってくる。
戦後から、日本は急速なスピードで変化していった。産業・経済…
それに伴って私たちの周りには多くの便利な物が生まれてきた。
例えば、洗濯機。
昔は1つ1つ手洗いを干していたのが、今では洗濯機に入れて洗剤入れてボタン一つで洗ってくれる。
コンビニという24時間営業店舗の増加。
生活用品や食品を取り揃えるお店が都会にも地方にも増えて、わざわざ遠くに行くことなくものが買える。
とても便利で物の豊かな世の中だと思う。
ただ、この便利さ豊かさの引き換えに何かが欠如している気がする。
便利さは否定しない、自分自身もその恩恵を受けているから。
ただ、便利さゆえに物を一生懸命に獲得することことが難しくなっているのではないか。
物の豊かさゆえに、無数の選択肢を選ぶことにエネルギーを浪費しているのではないか。
令和の時代、AIや技術革新でさらに便利で物が豊かになってくるのは目に見えている。コンビニや事務の単純作業などAIがとって変わって、私たちはいつか働かなくていい時代がくるのかもしれない。
そんな時代を生きる子どもたちはどんな未来を描けるのであろうか。
今現在、児童養護施設へ関わっている。
ほとんどの子達が親の虐待やネグレクトによって施設にいる。私が深く関わっている子は親はいる、特に虐待を受けているわけでもないが、施設にいる。
便利な時代を生き、何かを自分の手で獲得することが難しくなっている時代で、この子達はたくましく生きて行けるのだろうか、そんな疑問を最近強く感じている。
統計によれば虐待の数は年々増えている(見えやすくなったこともあるのかもしれないが)
18歳で就職した子達は2年以内に仕事を辞めてしまうという。
普通に暮らしている子達もたくさんいる。
ただ、困っている子達もたくさんいるのは間違いない。
子ども・若者が「困った、助けて」とすぐに声を出すことができて、その声に対して手を差し伸べていく大人が増えて行く社会になることを切に願う。
誰でも居場所や出番のある、そして、尊厳を持って生きて行ける、令和がそんな時代になってほしい。
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