明治のはなし(あきつしま)31
明治30年
1897年、日本はついに金本位制を導入した。これにより日本の経済は世界経済と接続され、急速な成長への礎が築かれることとなった。明治の人々は、新たな貨幣制度によって、日本がさらなる発展へと踏み出す姿を目の当たりにし、自信と誇りに胸を膨らませていった。
その一方で2月、朝鮮では高宗が慶運宮(徳寿宮)に還宮した。しかし、慶運宮の裏門はロシア公使館に直接通じており、この動きが単なる慶運宮への還宮ではなく、ロシアの保護下に入る暗示と見られ、周囲の国々に不安を抱かせた。慶運宮の灯りは夜も消えることなく、宮殿内ではロシアの外交官がひっきりなしに出入りし、王家の動向に影響を与えていた。
さらに3月、ロシアは中国の遼東半島、旅順・大連を占領し、ついにその租借を正式に認めさせた。これにより、遼東半島全域はロシアの支配下に置かれることとなり、朝鮮半島に隣接する地に強力な軍事拠点を築かれたことにより、日本と清国、そして朝鮮の人々はロシアの膨張する勢力に一層の危機感を抱くことになった。
そして10月12日、この日朝鮮では皇帝即位式が挙行され、高宗はついに皇帝として即位し、清の冊封体制下にあった李氏朝鮮が「大韓帝国」として建国された。これにより、朝鮮は名実ともに独立した国家としての姿を示したが、その背後には依然としてロシアの影がちらつき、新生大韓帝国の前途には波乱の予感が漂っていた。