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明治のはなし(あきつしま) 1

1867年(慶応3年)、日本列島は激動の時代を迎えていた。
冬の寒さが厳しい1月9日、京都の御所では新たな天皇が誕生しようとしていた。睦仁親王、のちの明治天皇は満14歳で皇位に就くことが決まり、朝廷内外がその準備に追われていた。

睦仁親王の父、孝明天皇の死後、朝廷と幕府との微妙な均衡が崩れつつあった。母の中山慶子は、親王のそばに立ち、皇子が新たな天皇としての道を歩むことを静かに見守っていた。御所の庭からは時折、冷たい風に乗って京の町のざわめきが聞こえてきた。新時代の到来を予感する人々の期待と不安が、睦仁親王を取り巻いていた。

一方、二条城では徳川慶喜が重大な決断を下そうとしていた。
10月14日、慶喜はついに大政奉還を奏上することを決意し、長きにわたる武士の時代に幕を引こうとしていた。彼もまた、歴史の奔流に飲み込まれつつある日本の将来を案じていた。徳川家に受け継がれてきた権力を返還するという決断が、日本の未来にどう影響するのかを誰も正確には予測できなかった。

その頃、遥か西の大地ヨーロッパでも、大きな動きが起こっていた。
フランスのナポレオン三世は、幕府に対する贈り物として、アラビア馬26頭を送り出した。これらの美しい馬たちは、船に乗せられ、遥かなる海を渡り、やがて日本に到着する。幕府はこの贈り物を受け取り、洋風文化への興味と憧れを一層深めることとなった。だが、それはまた、封建制度が終焉を迎えつつある日本の変化を象徴するものであり、新時代の到来を感じさせる出来事でもあった。

さらに同じ年、ドイツの思想家カール・マルクスは『資本論』を刊行した。マルクスは労働者階級の貧困と資本主義の構造を鋭く批判し、やがてその思想は世界中の労働者運動に影響を与えることとなる。しかし、彼の声はまだ日本には届いていなかった。封建制と新しい時代の狭間にある日本にとって、マルクスの思想は遠い未来の問題に思えたに違いない。

そしてまた、アメリカでは新たな領土が誕生していた。アメリカはこの年、ロシアから広大なアラスカを買収した。荒涼とした大地に富を夢見たアメリカの政府は、この取引が未来の発展に大きく寄与することを信じて疑わなかった。アラスカの冷たい風が吹く中、未来の富と繁栄を見据えるアメリカの人々と、日本で新たな時代を迎えようとしている睦仁親王は、遠く離れた場所でそれぞれの運命を歩んでいた。

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