明治のはなし(あきつしま)18
1884年(明治17年)
明治17年、日本はかつてない大改革の真っ只中にあった。内閣制度、市町村制、府県制、郡制といった制度が次々と整えられ、明治政府は国を近代的な官僚制度に基づく運営へと変えていった。これにより、天皇を中心とする統治体系がより確固たるものとなり、皇室財産の設定も進み、国の財政も一層の安定を見せた。
さらに、銀本位制の導入とともに日本銀行券が初めて発行され、国内経済が近代的な貨幣経済へと移行し始めた。
その一方で、多くの日本人が新しい生活を求め、海を渡ってハワイに向かい始めた。彼らは広大なプランテーション農園での労働者として契約し、厳しい労働条件の中で日々を生き抜こうとする新天地への夢を胸に秘めていた。
そんな折、朝鮮では「甲申政変」という重大な出来事が起こった。日本の近代化を目の当たりにしていた若き金玉均は、自国にも開化をもたらしたいと考えていた。彼は同志とともにクーデターを企て、12月4日、ついに一時的ながら開化派政権を打ち立てた。
しかし、この新政権は長く続かなかった。清朝から派遣された袁世凱が素早く行動を起こし、12月6日には反乱を鎮圧し、開化派の試みは無惨にも壊滅した。
金玉均は命からがら朝鮮を脱出し、再び日本の地へと亡命したのである。彼の胸には、祖国を開化させようとした夢が打ち砕かれた無念が深く刻まれていたが、それでも彼は諦めることなく、日本で同志とともに再び祖国を変える策を練ろうとしていた。
こうして、1884年は明治政府が日本国内を近代国家へと成長させる礎を築き、国際的な影響力を拡大しようとしていた年であり、同時に日本から遠く離れた地で新たな人生を始めようとする人々や、近隣諸国の運命にも大きな影響を与えた年だった。明治の国策はただ国内に留まるものではなく、時には異国の人々の夢や命運をも巻き込みながら進んでいったのだ。