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明治のはなし(あきつしま)13

1879年(明治12年)

8月31日、京都御所にて嘉仁(よしひと)親王が誕生した。のちの大正天皇となる人物である。嘉仁親王の母は九条節子である。明治天皇は、我が子の誕生を心から喜び、周囲も未来の皇位継承者としてその成長を見守りはじめた。

この年、南国の琉球では、長い歴史に一つの区切りが打たれようとしていた。かつて琉球王国として栄え、中国との交易で独自の文化を育んできたこの地も、近代化を急ぐ日本政府の手によって大きな変革を迎えることになる。「琉球藩」が廃止され、琉球は「沖縄県」として日本の一部となるのだった。沖縄の人々にとって、この変化は突然であり、彼らが持つ土地への愛着と誇りが、複雑な想いを生み出していた。

波風立つ琉球の地 琉球王・尚泰(しょうたい)も、日本政府から東京へ移るよう命じられた。彼はこれを受け入れたものの、離れることへの悲しみと、日本本土の政府に対する不安が交錯していた。

未来に向けた新たな礎 京都では嘉仁皇子が無垢な瞳で天井を見つめ、時には笑みを浮かべる日々が続く一方、南の琉球では新しい日本としての一歩が、静かに、しかし確実に進められていた。沖縄となった琉球の地でも、やがて新しい時代に向けた歩みが始まっていく。その過程で、琉球独自の文化と日本の文化が融合し、独自の姿を作り出していくことになる。

こうして、明治12年は新しい命と新しい体制の誕生を迎え、日本という国が変革を続ける年となった。嘉仁親王がやがて大人となり、天皇としての責務を果たす時、その足跡の一つにはこの日の出来事が刻まれている。琉球と日本の結びつきは試練を伴いながらも、共に未来を築くための礎として歴史に刻まれていった。

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