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「目的のない頑張りの末路」

明日からバイトが始まる。
実に3ヶ月ぶりの社会活動。
正直、まだ働く意欲は全く湧いていない。(社会人だった頃は当たり前のように働いていたのに、、、気持ちの温度差に自分でも驚く。)

しかし金銭面が心許ないのと、限りなく膨大にある自由な時間のおかげで、読みたい本は読めたし観たい映画も観れた。
考え事は尽きないが、自分の心に折り合いもついた。

要するに暇になってきたのだ。


それに4月から始まる半年間の学校生活を終えたら、いよいよ本格的に働かなければならない。
それまでに少しでも「経験」を積んでおきたかった。



私は「経験」のために仕事を辞めたみたいなところもある。
高校卒業と同時に同じ場所で15年。
もちろん得たものは大きいし、一つのことを長く続けるのは他者曰く簡単にできることではないらしい。

しかし無い物ねだりだろうか、仕事を転々とする友人や、出産を経て異業種で働き始めた元同僚を見ていると「すごい」という感想がまず浮かぶ。
会社員を辞めれば面倒な手続きが生まれる。
そして新しい場所では、仕事内容、人間関係全てがリセットされ、一から学び直す。
そんな刺激的な場所に飛び込む勇気と、それに伴い生まれる経験値がキラキラして眩しかった。


実際に自分が辞めてみて、初めて知ったことは沢山あった。


失業保険の仕組み。

社会保険と国民保険のこと。

厚生年金と国民年金のこと。

確定申告のこと。

そしてそれらをなるべく安く抑えるための面倒な手続きやルール。


そんなことは仕事を辞めずともネットで調べれば出てくるだろうが、私の場合は会社員生活を続けていたら出会わなかったライフハックだった。


そして明日から久しぶりに働くわけだが、またしても私は「頑張ろう」としてしまった。


「頑張る」のはむやみやたらにするのは良くない。

目的のない頑張りは、自分を消費し疲弊させる。
「なんで私ばっかり」と被害者意識を募らせる。
その結果、周りを敵視してしまうことも多々あった。
ではなぜ私は頑張ってしまったのか。

人に迷惑を掛けたくないと言えば聞こえがいいが、「他人によく見られたい」「人に嫌われたくない」そんな他者意識が強く働いていた。
それに空気を読む癖もあった。

人にどう思われるかを気にする人間にはありがちな行動かもしれないが、それで残ったのは虚無感だった。



私は物覚えが悪いので、そこは人よりも努力しないといけない。
けれど、誰かに媚びたり、やりたくないことや明らかに押し付けられたことを積極的にやる必要はないのだ。

ついつい忘れてしまいそうになるが、自分にとっては大事な学びだ。


でもね〜ここのバランス難し〜のよね〜。

自分を守るために頑張らないこと。
自分を成長させるために頑張ること。

嫌われないために頑張ること。
思いやりを持って誰かのために頑張ること。



悩む時間は言い訳を探す時間であり無駄な時間。

黙って働くぞ。


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