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憧れの正体
女は十八だった。部活を引退したので暇だった。
なんとなく歌の上手な人になりたかったので『ボイストレーニング 東京』の一番上に入会した。
ある日先生に「門下生間で発表会をやるからでない?カラオケでもいいけど、ピアノが弾けるなら弾き語りやってみない?」と誘われて、スキマスイッチの藍を学校帰りに練習した。
冷たい風の吹き荒ぶ寒い日だった。
十数名の参加者が思い思いに用意した曲と夢を披露しては、お互いの勇気を称えあった。
会の最後、僧侶のような坊主頭の人が立ち上がった。
自己紹介をして、自分で作った歌をギターに乗せて披露した。
なんだこれ、すごいな、たった一人なのに大勢いるみたい。歌なのに、言葉みたいだ。
坊主の人は十数名で称えあった勇気とは全く別の世界にいた。狭い部屋で、知らない世界が女を圧倒した。
その女は非常に素直だった。
すぐに『アコースティックギター3点セット』を手にしていた。そして数ヶ月後にはライブハウスにいた。
行動の動機は至って明白で、あの坊主の人に追いつきたい。それだけである。
その後も数ヶ月に一度はお会いすることがあった。
今日はもしかしたら褒められるかも、いい曲だねって言ってもらえるかも。どうだ、どうだ、どうだ!!と、名作をぶつけた。
しかし、届くことはなかった。
それは教室をやめたあとも続いた。
9年が経ち、あの人は坊主じゃなくなったがお会いしては渾身の一作を投げつけている。
しかし、やはり届かない。
坊主だったあの人は、「最期に作る曲が一番いい曲でありたい」と言っていた。そのためには練習も努力も惜しまないと言っていた。
そうだ。
私がfコードを習得した時にはもう、すでに、坊主の人はでっかい舞台に立っていたのだ。
私がどんなに早く走れる方法を調べても、それがつま先の使い方にあると知った時にはもう、何倍もの努力を重ねたあの人がコースを走り、大会に出て、優勝したりしているのだ。
追いつけるわけがないだろ、と落ち込む。
だけど追いつきたい。
かっこよかったから。
すごかったから。
この縮まらない距離が、足を止めたくなるほどの差が、憧れの正体なんだろう。
どれだけ走っても追いつけない距離のまま、女は最期に作る曲も、きっと投げつけてしまうのだ。