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子どもらの誕生日に思ふ己が老い(爺医)

 家族の連絡用として、フェイスブックのプライベートグループが便利だ。
 冒頭の句は娘の誕生祝に捻ったものであり、それを読んだ生成AIが作った画像である。
 
 誕生日の備忘録に便利なのが、「三年日記」や「五年日記」だ。
 始めた訳は忘れたが、三年日記は三冊を使い終えた。
 一冊目の三月……東日本大震災! 大槌町や陸前高田市の医療支援を思い出す。
 二冊目は宮城県へ飛び……気仙沼市や南三陸町の支援生活。
 そして「盛岡ぐらし」の三冊目には、ピンク色の表紙を選んだ。
 
 日記を付ける理由は? 
 備忘録として日々の記録を残すことであり、特に三年日記は後から役立つ。
 上段(一昨年)と中段(昨年)の記録を眺め、今日の分を下段に書き込む。その時々の意を筆のままに綴ることもある。
「意到筆隋」と聞くが、日記とエッセイ(随筆)の違いは何だろう。
 
 岸本葉子氏の定義は明確。
 エッセイとは、「自分の書きたいこと」を「他者が読みたくなるように」書くこと。
 更に「へえーっ、そうなんだ、と読者に思ってもらうことを目指す文芸だ」とも。
 
 井上ひさし氏の指南はレベルが高い。
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に」と。
 
 令和二年に始めた五年日記。
 四冊目の三年日記を買いに出かけたのに、いきおいで五年日記を選んでしまった。 
 あと五年〈爺医〉を続けられれば、と。
「三年日記だと、すぐに終わるから」というのが、五年日記を買った理由だ。
 
 最近「歳とともに時間が早く過ぎる」と強く感じる。
 同じ感覚を二十年以上も昔の著書〈人生忠臣蔵〉で、数学者の森毅先生は〈Y=XX〉と看破。
「人生は歳の二乗で過ぎてゆく」森毅氏の言を今に肯(こ)ふ(医師脳)
 
 月曜は子宮がん検診医、金曜は内科健診医、これの繰り返しである。
「生き急がなくても……」と笑われそうだが、一週単位で時は過ぎゆく。
 気持ちだけでも、暦どおりに〈Y=X〉のスピードでゆったり生きよう。

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