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親孝行せむと思へど「too late !」(爺医)

 午後三時のコーヒータイム。
 敬老の日の午後、いつもどうり三人分の豆を挽きドリップする。
 これを三つのカップに分け、ひとつを仏壇に供えてから夫婦で楽しむ。ちなみに、仏様からのおさがりは、後で私が二杯目としていただく。
 仏壇では、祖父母と両親の遺影が微笑んでいる。
 
 大学受験に失敗し、仙台の予備校へ父と出かけた18歳の春。
 入学手続きを済ませ、紹介された下宿に落ち着いた。
 ゆっくりする間もなく、青森に戻る父に連れられて、一緒に夕食をと駅前の高級レストランに入る。
「なんでも頼め!」
 ここは甘える場面だろうと、能天気な浪人生は気遣ったつもりで……。
「ビフテキが食いたい!」
 
「うまいか?」に十八歳(じふはち)の吾はただ食ひぬ 呑むだけの父の訳も知らずに(医師脳)
 
 その時の父の懐具合を母から聞かされたのは、医者になって初給料で両親を寿司屋に招待した時だ。
 ずいぶんと喜んでくれた両親の顔が思い出される。
 
 程なく長男が授かった。
 自分が親になり気づいたのは、父親と息子の会話が(母親と娘とに比べれば)実にあっさりしているということだ。
 が「やはり男同士だな」と嬉しくなることも偶にはある。
 
 十数年前に父を看取り〈老衰〉という死亡診断書を書いた。
「医者冥利に尽きる」などと自慢できたのも、親の苦労があってのことだ。
 父の亡くなったのがゴールデンウィークと重なり、火葬場の都合が取れず2晩ほど棺の前で線香を絶やさぬよう息子と飲みながら過ごした。
「先に休めば」という息子の一言が、実に頼もしく嬉しかった。
 
 老健で施設長をしていた頃の経験だが……。
 平穏な死、つまり「平穏死」なる概念は、全国的に広まりつつある。
 だがそれを高齢者本人は願っても、子どもが(様々な理由で)親の平穏死を邪魔する場面に出会った。
 これも日本の現実だ。
「親孝行したいときに親は無し」と言う。
 自戒を込めて、親のある方には長尾和弘著『平穏死という親孝行』の一読を勧めたい。
 最後の親孝行を!

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