見出し画像

日本に稲作文化のなかりせば卑弥呼もおらず万葉集さへ

縄文人の澱粉源らし「URI」の語の響きは残り粳(うるち)米へと
呉に負けし越の民らは日本へ来て稲作の技術を広めしとふ
稲作の重労働は縄文のまほろばの民には厭はれしとふ
稲作の価値は食から富を生みムラの争ひの種にもなりき
縄文の気温低下にまほろばは稲作ひろまり国となりたり
種籾の生む無尽数(むじんず)の米粒が日本人の主食となりき
雨おほきモンスーン・アジアの日本はやがて瑞穂の国と呼ばれき
いにしへの氾濫せし原は田にかはり原風景といつしか呼ばる
戦国の山城を築きし大名は棚田作りて石高増しぬ
徳川の食料づくりの稲作は米本位制の「貨幣」なるらむ
戦なき元禄の新田開発で湿地は田となり城下を広ぐ
米バブルはじけて起こりしインフレに向かふ吉宗が享保の改革
江戸の町の人口密度を支へしは稲作技術と民族性か

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?