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十六歳(じふろく)のセーラー服の母まぶし(爺医)

 仏壇脇の棚から、色あせた緋色のアルバムが出てきた。
 表紙からは「青森縣立弘前高等女學校卒業記念寫眞帖 第三十八回 昭和十六年三月」と読める。
 
 亡母の秘宝は他にもあった。
 長谷川寫眞館と刻印された写真には、昭和21年9月7日とあり、弘前の実家の座敷で花嫁姿の母を真ん中に曾祖父母と祖父母が並ぶ。
 曾祖父の成田幸吉は私が10歳になるまで存命だった。
 
 亡父の字で「成田家の先祖を探る」と縦書きされた原稿用紙まで出てきた。
「幸吉翁の残した覚書をそのまま記述する」の後には漢字カナ交じり文が続く。
「高祖成田総司源俊全ハ元甲州武田ノ臣タリシモ、浪人シテ後暫ク南部地方ニ在リ、遂ニ津軽藩ニ召出サレ食禄弐百石ヲ賜ハル」とあり、遥か遠き先祖は武田の家臣だったのか……。
 
 そして覚書は更に面白くなる。
「先祖成田五郎右衛門宗全ハ現今ノ清水村部内樹木ト申ス処ニ家ヲ建テ、附近ヲ開墾シテ田畑ヲ耕シ、遂ニ一家ヲ為シタリ。(中略)尚、南部地方ニ在リシ時、漆樹の栽培法ヲ覚エ、且ツ利益ノアルヲ知レルニヨリ、之ヲ移植シテ範ヲ示シ、大イニ其ノ繁殖ヲ計リ、更ニ藩庁ニ上申シ、広ク諸人ニ栽培セシムルニ努力シタリ。実ニ我ガ津軽藩ニ於ケル漆樹栽培ノ嚆矢トス」と続く。
 
 津軽デジタル風土記によれば「津軽藩の漆栽培の技術指導書『漆木家傳書』の筆者の成田五右衛門は、代々漆栽培を手がけてきた成田家の五代目成田五右衛門惟宣と推定される」とある。
 こんな情報を得たうえは、父の書きかけた原稿を完成させて仏壇に供えたい。
 
 仏壇からではないが、父の古着も出てきた。
 
亡き父の半纏みつけ羽織りたり朝の寒さに父のぬくもり(医師脳)
 
 父が70歳代の頃に着た代物だ。
「ずいぶん爺臭いな」と当時は思ったが、今やジャストフィット!
 二代で着たのだし、半纏も本望だろう。
 更に言うなら、今は洒落者の息子だが、25年もたてば「祖父の半纏」などとありがたがって着始めるやもしれぬ。

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