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腰痛に白袴ぬぐ整形医(爺医)

 M3ラウンジの『時事・ニュース』グループで、岡田菊三先生の一首に目がとまった。
「年を経し椎の乱れの苦しさにわが老いし腰はいと痛みけり」
 この短歌「整形外科医の腰痛」に閃いて捻ったのが、冒頭の川柳一句である。
「紺屋の白袴」:昔は、着る物を紺屋(染め屋)で染めてもらうという習慣があり、お客の着物を染めるのに忙しくて、肝心な自分の着るものを染める余裕がないことからできた諺らしい。仕事に精を出しすぎて、自分のことに手が回らないという点で、「医者の不養生」や「大工の掘っ立て」などと似ている。
 
 医学生だった頃、「医者は自分の専門領域の病気で死ぬ!」という都市伝説を先輩医師から聞かされ、産婦人科への入局を勧誘された。……というのは酒の席での話である。
 医師となって間もなく半世紀。初めの3分の2は産科医として、そのあとは老人医療に携わった。
「誕生」と「死」に立ち合い続けたから、「揺り籠から墓場まで」を実践する人生行路だったと思う。
 
 まだ産科医だった頃の話。
 札幌での講演の帰り、妻の希望で小樽の北一ガラスに寄った。
 様々なガラス細工のなかに、白衣と額帯鏡の人形が目にとまる。
 まわりを良く見ると、聴診器を胸にぶら下げた人形や、メスを振り上げたものも並んでいる。
 産婦人科医の人形はないか、店員に尋ねた。
「あるはずですが……。探してまいります」と持ってきたのは、赤ん坊を逆さに抱いた医者。
 人形の底には、チェコスロバキア製とある。
 その値段も気になったが、メガネの奥の優しい青い目に誘われ、大枚を叩いてしまった。
 
 あれから四半世紀余り。
 机の上に置かれたガラス細工の人形を眺めているうち、新米産科医だった頃の記憶がよみがえる。
 最初に使った聴診器は、胎児心音用のトラウベだ。
 妊婦さんのお腹を触診して赤ちゃんの背中だと思う場所にトラウベをあてる。
「トラウベから手を離して」と、古手の助産婦さんが小声で……。きちんと聞くには、コツがあったのだ。
 
 超音波を利用したドップラー聴診器の出現で、妊婦健診はずいぶん楽になる。
 産科医や助産婦さんだけでなく、妊婦さんや家族からも好評だった。
「トットット」という音を聞けば、誰でも安心する。
 電話口でドップラーを妻のお腹にあて、
「孫の心臓の音だよ」と、青森の両親に自慢したことも懐かしい。
 その子が生まれたのは半世紀も昔だ。
 エコー検査のない時代に、性別など知る由もない。
 我が子を取り上げた若い産科医は、
「男だ!」と大喜びした。
 
 2005年、還暦前に産科医をやめた。
 天職だと頑張ってきたのにである。
 理由の一つは、大野病院産科医逮捕事件で見せつけられた理不尽なバッシング。
 そんな世間に〈ガラスの産科医〉は怖じ気づき、親の介護もあって老人内科を勉強した。
 
 〈ゆりかごから墓場まで〉づう医者の話。
 どんどはれ!

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