
子どもが好きで先生になった人応援します。先生の道9
高学年を受け持つと「平和学習」というキーワードがよく出てきます。
8月という時期も「第二次世界大戦」という大きな戦争で日本に大きな変化やたくさんの人々の犠牲があった月なので、いろいろな行事が行われ報道されますね。
平和教育は特別に取り上げて行う教育なのかなと考えたこともありました。むしろいつも考えていないといけないことなのでは、という意味でです。
「戦争への道を歩んだことを忘れない」のなら日本が開戦した12月にも「なぜ日本は戦争に向かい、日本の人々はそれを阻止することができなかったのか」を考える必要があるはずだし、「人を殺してはいけない」ということは各家庭における毎日の生活のなかで、家庭でも「親たち」の価値観(倫理観や宗教観)として考えて話して行くことが必要な事柄なのではないかと考えてきました。
学校でも、そうした戦争の是非を含めて議論できるのは教科としては小学校6年生から始まる歴史なんだと思ってきました。
ようやく孫も6年生、こうした話ができる歳になったんだなと今度会う時に「戦争の話をしょう」と言ってみるつもりです。
僕のように「戦争をテーマにした平和教育」を受けてきた戦後生まれの「戦争を知らない」世代は、どこの国でも同じような平和教育が行われているという思い込みが一つの安心感になっているようですが、徴兵制のある国の平和学習は日本の「戦争はしません」という方向での「平和学習」とは少し違いがあると思います。
若いころ、海外で出会った人の多くは、中世のクラウゼッツという人の書いた「戦争論」にある「平和は戦争と戦争の間にある一時的な期間」という発想が根底にあるように思ったことがありました。
「平和を維持するためには外交的な努力はするが、政治的外交的努力が実を結ばない場合は一つの政治的(外交)手法として、軍事的な手段も選択する」という解決方向があり、アメリカと、韓国は「大統領」がその最終判断する権限をもってます。日本は「戦争(軍事的な解決をしない)」と憲法で宣言してますので、「戦争をするという権限」は誰も持ってないのかな。
イギリスは立憲君主制だから議会が決定し国王が採択するのかな。
日本では、「戦争をしないための(倫理的な)学習」が、「平和教育」と呼ばれていますよね。
修学旅行に広島県に行く学校も近畿ではたくさんあるようです。同じように三重県に行く学校もたくさんのあります。
でも、どちらしても、その年の子どもたちが「修学旅行の行き先は決められない」(前の年度に予約をしないと宿泊場所が確保できないという当然の理由からですね。)のは意外と知られてません。
伝統や歴史文化を尊ぶ為に行う「修学旅行」なのですが「子どもたちが自分の行きたいところに行けない」この事に少し違和感がありました。
広島県にしろ三重県にしろ、前年度に「行先」は決まっていて、変えることまず、無理なのです。
誰かが(多くの場合、前年度に行く六年生の担任の先生や管理職)が決めているというより、ひきついでいるのでしょうね。
変えることが難しいというのは、4月に担任団が決まってからすぐに大人数の宿泊が確保できないという物理的な理由からです。
宿泊場所さえ確保できれば、少子化の時代、対応できることもあるのかもしれませんが、忙しい6年の担任にそんなことを考える余裕があるかないか、ですね。
5年生に自分たちの「修学旅行の意味や意義」を議論させ6年生で「自分が決めた場所」に行く、これなら「物見遊山」でもなく「伝統の押し付け」でもない「平和で民主的な修学旅行」という「平和学習」も可能ですが、「しがらみ」が多そうなのと、次の年度の先生が負担に思いそうなので断念しました。
学校で、伝統的に引き継がれている「行事」の変更には結構ややこしい手順と周りの理解がないとできないのです。周りのというのは、「私の小学校の時は」に続く言葉が好きな「変化や変更がないことが一番大事」と思う人たちであり、社会なのかもしれませんね。
「戦争について考えることは大切なことだと思います」同じぐらい「日本の求める恒久平和」について考えることも必要だと考えてきました。
表裏一体のものなのかそうでなあのかはよく分かりませんが、「歴史としての戦争を考えること」にとどまらずその次の一歩を子どもたちに考えさせる学習が必要なのでは、という思いです。
戦争は風化させてはいけないのですが、「第二次世界大戦」以外の戦争でよく使われた「役」や「事件」、「事変」という言葉とともに風化していますよね。
「紛争」は「戦争」ではないと思う子どもたちもいるということを聞きます。
「日本が関わっていない国同士の争い」は「戦争」ではなく「どちらか一方が侵略したら戦争」なのだと、高校生が教えてくれました。なんか違うのですよね。
あなたのいう日本が海外の国で平和教育の手本にできそうなモデルはほとんどないのです。
永世中立国のスウェーデンも今年その中立であることを放棄してNATOの一員になっています。

北欧を、旅した時も、北欧の国々の「戦争」に対する思いは深いし「平和への願い」強いものだと、感じたこともありました。

戦争の度に国土の地図が変わるという現実があるのです。
スイスにも軍備はしています。海外では「平和を守るため戦争しそうな国とは手を組まない」ことが平和を守る手段と地政学的な学習を通して教えているそうですが、そうした発想からどことも与しない中立国という考え方ができたのだろうと想像できますが、それをこえる危機感から今年スウェーデンはNATOに参加したのかもしれません。
福祉が充実して人権が尊ばれているといわれる国でも「必要なら戦う」という危機感がヨーロッパにはうまれているのでしょうね。
日本で第二次世界大戦前までは、歴史や地理の中でも地政学を教られていたようですが、平和学習は教科ではなく「命を大切にする学習」など同じカリキュラムの位置づけなのだろうと思います。
外国ではそうした「倫理」は家庭で宗教や哲学と同様に身につける「規範」「教養」で、学問として取り扱うのは「政治的手法や外交」という歴史のなかで「自国の成立に関わる戦争」を主に取り上げていると町の博物館で聞いたことがあります。

そうしたことを子どもたちに気づかせることの学習はしたことがあります。でも、僕が行ってきたのは平和教育ではなく歴史学習だったのかもしれません。
戦後の歴史まで小学校で教える必要があるのかないのかは今のカリキュラムを見ないといけないのでよくわかりませんが、中学の歴史や高校の地歴ではたくさんの日本が関わった戦争のことを教えていると思います。
なのに「歴史としての出来事なのに」日本では戦争は他の国の出来事だと考えているなら世界の人から見れば「不思議ちゃんの世界」にいるように思われてしまうのは確かなようですね。
歴史を学習すれば、政治に関心を持つのは当たり前のことだし、個々の倫理観や価値観が反映されるのは当然だという意識が、まだ育まれていないのなら世界の若者たちとともに「平和」を考える基盤さえできていないのではないかと危惧します。
知識として与えられていたものだけから考えることではなく、そこから推論し、議論を深め自分の意見を持つということにまだ慣れていないだけならいいのですが。
長々と述べましたが、あなたの、質問の答えになるかはわかりませんが、海外の多くの国では「平和教育という独自のものではなく歴史のなかでの学習としてとらえている」と思います。
「誰が戦後の平和な日本を守ってきたかのか」は「戦後の日本人の勤勉な努力と第二次世界大戦でナチスやムッソリーニとて手を組んで一緒に世界に迷惑をかけたことを反省して戦争をもうしないといったから」という側面と、「戦後奇跡の経済発展を遂げ、理想の国際社会をつくるためお金(経済的支援)をすすめ、発展途上国と呼ばれた国々の支援を行い国連の活動に寄与した」から平和でいられたという見方もできます。

あなたのいう「重たくない、平和を考える学習」「イデオロギーや倫理にとらわれない平和教育」のペースになるのは「世界市民」という理想なのですが、その共通言語すら広まらず、国連は対立したり、拒否権をもつ国があったりですよね。だから子どもたちが「なにができるか」を考え行動することが平和教育ですよね。
多数決でしか平和を維持する方法を知らないから国際社会が子どものグループ化の様相になり「人を殺してはいけない」は宗教に近い倫理ですね。人の命の重さを人数で量るのかどうか、なんかは宗教理念がないと混乱する部分ですよね。
公立学校でできる平和学習にはいろいろな形があり、先輩たちが作ってきたものもたくさんあると思いますが、僕らの世代は「団塊の世代」ほどの熱量もあまりなかったので、「団塊の世代」ほどの正義感はなく、すこし離れてみていました。ある意味で自分の楽しめることを見つけることにひそかな楽しみを持っていたのだと思います。
学校教育法51条の高等学校における教育の目標には
三 個性の確立に努めるとともに,社会について,広く深い理解と健全な批判力 を養い,社会の発展に寄与する態度を養うこと
と明記されて久しいのですが小中学校においてそうした目標に向けて過去の実践や研究を学問として批判的に行うという作業は、これからなのかもしれませんね。
平成の終わりごろクリティカルシンキングやコミュニケーション能力等の育成、体験的な経験の不足が子どもたちの課題だということが意識され令和になって、そうしたことを実践するときに、自分のやりたい平和学習を先輩たちの実践を批判的に検証し再構築するという「先生の側」の意識変革も必要なんだろうな。ただ紙ベースで残っている「前例の指導案」をそのままやるなんて面白くないよね。
合理的な考え方には基づけば「正義のための戦争」はイデオロギーにかかわらず成り立つわけで、むしろそうしたことを批判的に子どもたちとと一緒に考えるなら歴史の「明治維新」は面白いですよね。
そのあとの明治を考えて、そのあと戦争を考えてから平和を考えることが必要かなと思ってました。でも社会の時間だけのそんなに時間はなかったのも確かですね。
外国で戦争が起こっていることの実感を持たせることができないかと、ボスニア紛争の時だったので、新聞に出たなくなった人の数を(関係のない生きている)新聞の顔写真を切り取って体育館で模造紙にはっていくという暗い死者の数を実感させるという「戦争教育」はしたことがありますが、なんか自分が受けてきた「戦争の被害者の写真」を見る教育の延長みたいで、違うなって思ってやめました。
国連をどうするかを考える、世界市民をどう意識させるか、あたりが一つの方向だとは思います。
五年生で、日本中の大使や領事に「日本の子どもたちに期待すること」のアンケートをとり、平和についても聞き取りさせたのですが「日本が戦争を、しないこと」が多かったので、議論したことを思い出しました。
確かに、ベクトルがちがうと暗くて重たい学習になることもありますよね。
個人的には「怖いという意識を植え付けて制止する」というのはあまりいい指導方法ではないように思うのですが。
そうはいっても、平和をどうして構築するかを明るく扱うと、意外と、今さえ、楽して楽しめればいい論になりやすいのですが、「自由」とは何かと結びつけて考える学者さんはたくさんいましたね。
問いとしては「みんなが満足できる世の中が平和なのか」みたいな感じで話し合わさせたと思います。
国や社会のレベルでの平和を守るとか平和な世の中にするとかいう感じではなく、個人レベルでの「教師」の平和への価値観によって違うから難しいんだと思います。
どうでもいいことですが、僕は「ありふれた何もない毎日がズーと続くこと」が平和だと思ってました。あなたはどう思ってますか、今度の飲み会のテーマにしましょう。
こんな議論も平和だからできるってね。
ちなみに僕の母校では「何も入っていない「すいとん」を食べることが平和を考えるきっかけになるとアピールしてました。
「ひもじい思いをしてサツマイモの茎を食べた」というエピソードからの思い込みですが、そのおかげて僕の中で「すいとん」の立ち位置がうどんや蕎麦よりも低いものだと思っていました。
京都の多くの小学校で「すいとん」を食べ平和を考えるという風習があることをテレビに投稿してみようかな
北関東の出身の方なら分かると思いますが、すいとんとは「特別な食べ物」ではなくうどんやそばと同じ「普通」の食べ物なのに「京都出身の僕」は「ひもじい時に食べる食べ物」→「貧しい人が食べるもの」というイメージを固定概念として持ってしまった、ということに対する違和感なんですよね。
「平和教育」は大切なものだから、しっかり学ばなければならなかったのに。きちんとその「先生」の意図を把握できないですいとんを食ったことのなかった僕は「そうか、すいとんは食うものがないという悲惨な状況時に食べる食べ物」という思い込みをしてましたのでしようね。
すいとんがうどんやそばと同じように、日常的に食べるものだということを認識したのは大学で北関東出身の学生に出会うまで、恥ずかしいことに、貧しい食べ物のように思いこんでいたということに初めて気がついたという苦い思い出があります。
「教育」ってむずかしいですよね。
やっと、伝えたいことです。
戦争はいけないことだと教えることは簡単ですが、戦争をしないで、平和な世の中にする方法を教えることは難しいです、だから「平和」って何?という問いが大切で、議論のなかで、それぞれの子どもが、周りの大人たちのそれぞれの「正義(価値)」を吟味して自分の価値としておとしこむ時間が必要で、その時間は「発言に関しての安全が保証されている」必要があるのです。
アクティブラーニングやグループ討議の前提として、小学校では、こうした学級の空気が作りにくくなっているとも聞くことがあるのですが、意外とこうした空気感を考えるなかで、「平和」という大きなテーマも考えられるかもしれませんね。
そろそろ新しい平和教育をあなたたちが考える時代なんでしょうね。