
子どもが好きで先生になった人応援します。先生の道4
時代の変化とかかわりかたの変化を柔らかすぎるパンケーキを食べながら感じています。ホットケーキがいつからかパンケーキになったのか、まだ、ホットケーキと呼ばれているのかあまり関心はないのですが、ランチにはうまいものを食べたいと思う老人です。
おせっかいとcommunicationの狭間が見えない時代なんですよね。
関わってほしくないけど、教えて欲しい。もう少し細かく書けば「私的なこと」まで関わらずに「私の必要とするスキルや知識」は教えて欲しいし、「上司なら、先輩なら」教えることがあなた方の仕事のはずって感覚、かな。邪魔くさいですね。
この感覚、どうも昭和の生き残りには理解できないのです。たしかに「私的なこと」まで土足でずかずか入ってきたのが昭和の時代。
私的=信頼のおける存在、まるで家族のような、という図式が当てはめられた懐かしい時代だったのかも知れないですね。
仕事(会社)の反対語が余暇(家庭)ではなくて自分の時間だったのだろうと思います。私的という言葉も公的の反対語ではなくて家族に近い用語だったように思います。家族という共同体が私的なものというイメージで僕という個ではなかったのは確かだと思います。たしかにサザエさんの世界観ですね。
「家族観」が変わり「仕事観」も変化したことは理解してるつもりですが、かくあるべき論ではなく「かくあって欲しいという気持ち」はそれほど大きく変化したのかどうかは良くわかりません。
私的=私以外は信頼できない、スマートな距離感という新しい図式は、組織として「仕事」をするときには、もともと当てはまらないようにも思えます。
一人でフラットな職業でクリエイティブな仕事をするのなら当てはまるかもですね。
まだ、企業はこうした「組織」としての側面があるのです。公的機関としての学校も、役所もそうなのかもしれませんね。
「あなたの職業観」にマッチしないから新しい生き方を考える、それもひとつの生き方ですよね。次のマッチした仕事があなたに見つけられるかどうか、ちょっと心配してるだけです、おせっかいな性格ですね😀
だからといってあなたが求めるような生き方がないわけではないと思います。どこで「折り合い」を作るかという部分だから、次のステップをあなたがみつけられるかどうか僕にはわかりません。
リアルの世界であれ、バーチャルの世界であれ「折り合い」をつける勇気が必要なのかもしれませんよ。
いにしえの時代から大人になるときには「折り合い」がつけられないで、自分以外にしか目を向けられなかった人もたくさんいただろと思います。若者はそれを拒否することができると信じているのだと思います。
それを拒否し続けることもできるとは思いますが、先生という仕事とはどうもマッチしていないかもしれないのです。
先輩をリスペクトできないですか。
世の中が変化する時、「先生」は「乗り越えられるべき存在」という側面より「範を示す存在」という側面か期待されますワープロからコンピューターソフトに変わる時、先生たちの大部分は「一太郎」というソフトで教材を作っていました。
今どきの若い先生たちがExcelやWordを使えない年代をリスペクトできない理由のひとつにあげることもあるようですが、それは違うように思います。ロータスや一太郎、桐という国産コンテンツを使い、自分たちでプログラムしたフリーソフトを作った先輩たちが、伝えることができなかっただけのことなのです。
指導内容がそれほど大きく変わった教科は生活と総合ぐらいで教科は指導の目標もそれほど変わっていないし、しいて言えば「指導方法」が指導ツールの利用により新しくなったぐらいのことです。
指導ツールの利用スキルはオタクであればすぐに習得できるようにも思います。WordやExcelが使えないのではなく公的文書は一太郎だったからです。
コンバートソフトがもう少し安くて使い勝手が良ければ、ひょっとしたら先輩たちを見るあなたの見方が変わったかもしれません、でも、あなたにとっての損得で判断するあなたの振る舞いやスキルだけで判断しようとするあなたには伝えたいと思わなかったのかもしれませんね。
もう少しあなたも歳を取れば実感できるかもですね。
新しい生き方をみつけたいですか。
「自分以外は信じない」と決めたのなら、自分にもう一度目を向けることもできると思うのです。
チルチルミチルが求めた青い鳥は、シャボン玉とんだの歌に表されたシャボン玉のようにいつか「消える」ものかもしれませんし、ひょっとしたら自分の心の中にズーと住み着いていて、追い続けることもできるものかもしれません。
あなたがいい先生になれるかどうかは、僕にはわかりません。ただ、あなたは先生という仕事を楽しめるはずだと伝えることはできます。
間違いなく僕の思い込みであり決めつけですね。
思い込み決めつけは人を傷つけることがあることも知ってますが、あなたには伝えたいと思ったのはなぜでしょうね。
確信はその喜びをうまく伝えられればやる気を生み出すが、伝え方がまずいとやる気をそぐ、そんなことをあなたは知っているからだと思うからかもしれませんね。
たしかに逃避はひとりのこころの弱い部分から生まれる感染症かもしれないけど、強い思い込みや決めつけは言葉の暴力を生み出しますよね。
ひとりひとりのこころに灯をともすこと、それがあなたにはあると僕は信じてます。なんて伝えても、信じてくれないかもしれません。
出会いや偶然を大切にしてきた老人のたわごとかも、ですね。
でも、せっかく採用試験は突破できたのに、もったいないと思う僕はあなたに伝えたいと思うのです。これっておせっかいですね。