約束の彼の地

約束の卵と共にひらがなから日向、現在までのあゆみのVTRが流れ、ひな誕祭2022が始まった。

ライブの先頭バッターで欠かせないOvertureが切り込まれ、会場があったまった。

21番目のメンバーとして、小坂菜緒が日向坂46に帰ってきた。間違いなく万全ではない中での復帰だが、いい意味で憑き物が取れていたように見えた。そして、確かにオーラを身に纏っていた。一人だけ、比喩なんかではなく現実ではないような人間にも見えた。彼女が抱えるものは彼女にしかわからないのだが、間違いなく一人の人間としてレベルが上がっていた。良い脱力とはこのようなことをいうのだと思う。決して元気がない訳ではなく、小坂菜緒のレベルやステージがさらに1段階上に上がったような復帰であった。

ひらがなけやき、キュンと続け様に2曲が終わり、乃木坂のライブでは感じたことのないタイプの感動が訪れ、終始涙が出てしまった。最後まで持つのか心配になった。何を考えたかというと、当然このメンバーが集ってパフォーマンスをしているのは当たり前のことなんかではなく、この瞬間こそ奇跡であり、5万人の東京ドームのうちの一人として、その瞬間を目に焼き付けていること自体が奇跡なんだと思った。なぜか、俯瞰で見ていた。俯瞰で見る立場の人間ではないのに。

きっと、自分がもう気づけば30手前になったことも影響しているのだと思った。一人で完璧になんでもできる人間は一人としておらず、それがまだ20前後の人間であればなおである。しかしながら、一人一人のパフォーマンスがモニターに映し出されると、誰一人として不要な人間はおらず、どう考えても一人一人に唯一無二の個性があり、それを濱岸ひより含む22人全員で一つの日向坂になっていた。やがて近い将来、一人ずつこのグループを離れ巣立っていくのは歴史が証明しているし散々体験したことであるからこそ、もう本当に娘を見るような気持ちに自然となっていた。乃木坂の頃には感じなかった感覚であった。

改めて3時間のパフォーマンスの中で、日向坂46というグループの楽曲はとても「優しい」と感じた。バラエティではあんなに攻撃的なグループで、唯一無二の破壊力を持っているのに、改めて通してたくさんの楽曲が流れてくると、日向坂、ひらがなけやきが経験したものが優しさとなっておひさまに伝わり、おひさまをおひさまにさせているようにも感じた。

中盤のイマニミテイロ、最高であった。メンバーの表情に歴史が表れていた。

ラストのJOYFUL LOVE、今まで聞いたジョイラで最も感銘を受けたジョイフルラブであった。この曲がなければこのグループは存在していないことを実感させる楽曲パフォーマンスであった。

合間合間のMCがとても少なく、3時間の密度が異常であった。2年前から自分の中でライブの時間が止まっていた分、そして日向坂46のパフォーマンスを初めて、しかも約束の卵で立ち会ったことで、アンコール約束の卵、ラストの日向坂、完全に整った。リアルサウナ水風呂のようなライブであった。


こさかながこのグループにいないと、日向坂ではないことを改めて、そして初めて実感させられた。加えて、ひよたんがいないと日向坂にならないことを実感させられた。

ラストのアンコールの際、全メンバーが濱岸ひよりを肩にさげていた。これから4期生も入ってくることになるが、これからもどんな時であれ、一人として欠けることのないグループになっていくのだと感じた。

何度か、井口眞緒と柿崎芽実のことが脳に浮かんできた。きっと、この二人もまだ日向坂46なのかもしれないとも思った。

間違いなく、ライブの日向坂46が一番日向坂46なのだと感じた。ライブで輝く個人を見ていると、改めて箱推しという手段が最適な選択なのだと感じた。箱推しであることにより、全員の個性を肯定的に感じることができる。箱推しでないと、これができないとなるので非常に勿体無いことだと思う。

こんなにも夢のように感じた空間はこれまでなかった。生きているとこれができるのかと、思わされる。常に歴史を感じた3時間だった。


明日は配信。無事に終わることを願うばかり。


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