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『北澤楽天と岡本一平』竹内一郎 集英社新書 「僥倖という運」「枯淡という運」

ひさしぶりのnote。

まずは爺の私小説的「運」のはなしから。

「友人の本のなかに見える「運」のはなしからはじめようと思っていた矢先、私事として、琥珀亭のすぐ近くに「楽天」モバイルがチラシ一枚配っただけで高さ15mアンテナ基地局を建設しようとしていることが発覚。電磁波バリバリですよ。近所のかたの子ども部屋から5mの所にに建てるとは。しかも説明会もなし。抗議の電話をかけようとチラシに書かれている代表電話に朝の9時からかけてもかからない。無音。へんだなと思いよく調べてみると同時に配られた「楽天」のパンフにはお問い合わせは10時からと書いてある。「楽天」くん、こんな間違いをするなんていったいどうなってんの。「楽天」すぎて「ぼーっと生きてんじゃないよ」と爺のこころのなかのチコちゃん(うちのネコの名前であり、石牟礼道子さんのみちこからとったちこちゃん、チコ)から叱られますよ。琥珀亭で地元住民の意見を集約することとなり、「楽天」と闘うことに。そんなこんなで、note書くことが遅くなってしまいました。あ、「楽天」つながりでもうひとつ、爺の通った高校の校訓が「克己、尽力、楽天」、もともと楽天には縁があったようです。淡々とした日常をこなしていた琥珀爺も50年ぶりに闘い始めています。不思議なご縁で法的な相談では同じ故郷に住む水俣病訴訟に関わられてこられた好々爺M弁護士に。

で、出逢いとしての宝でもある同郷の友人の本のなかにみえる「僥倖」の話からはじまります。

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まずは「まじめな」、手塚好きの作者らしい本の仕上がりように、敬意と拍手を送ります。ご存じのように、氏は『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、『人は見た目が9割』(新潮新書)で空前のベストセラー、漫画の原案者「さいふうめい」の筆名で少年マガジンに連載された『哲也・雀聖と呼ばれた男』(講談社)で漫画界の大ベストセラーを生み出しています。その経歴からして「強運」の竹内一郎氏の最新刊(2020年4月刊)がこれ。

『北澤楽天と岡本一平』サブタイトルが「日本漫画の二人の祖」。

どうしてもこのふたりのことを書きたかった、というのが伝わる作りになっています。大ベストセラーを生み出した現場にいた氏はこの本の「はじめに」のところで、「経済原則」としての漫画、氏の言葉で言うと大ヒット漫画というものは《爆発的に売れ、漫画表現形式の革新を大胆に行い、それが社会現象を巻き起こすもの――。》と書きます。しかしこの本は、その流れからいくと「なんか違うけど」、とある別の「生真面目さ」に裏打ちされていることに気づかされます。もちろん新書という形態だけにきちんとアカデミックに、しかもアカデミックだけで硬くなってしまうわけでもなく「自由奔放」に論じられています。

《明治期に北澤楽天、大正・昭和初期に岡本一平という巨人がいて、彼らが切り開いた地平に手塚治虫は立っている――。》と考えると漫画の歴史に「奥行き」ができて、「その流れ」を「解説」することができる。それが「目的」だと「はじめに」に書いてあります。

生真面目です。ふだんの彼そのものの「生真面目」さ。ぎゃくにその「生真面目さ」が「漫画のスピリット」なるものでは、と考えさせられます。

「源流」という表現を氏は使っています。

ながれととらえてもいいようです。

「運」や「命」として考えていくなら、そこには「出逢い」としての「ながれ」がどうもあったんだな、と楽しくなっていきます。

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まずは、手塚治虫から。

生い立ちというか環境的に「繋がり」が見え「ながれ」がみえるところが書かれています。

縁は父。

《手塚の父親は漫画ファンでコレクターでもあった。家に『一平全集』(先進社全15巻)と『楽天全集』(アトリエ社、7巻で中断)があり、手塚はそれを熟読している》家庭環境からしてそこのところがすごいけど、その環境のなかで楽天から「キャラクター描写」を吸収したり、「性格の描き分け」と出逢うところが「才能」であり「持ち運」であると気づかされるのです。

さてさて次の「出逢い」

氏は「手塚治虫が岡本一平から学んだもの」として書いていきます。

単純に「どっちが」という点で氏の見解でいうと、「影響」というものの強さは「一平」より「楽天」のようなのです。

一平の天才ぶりとは違ったもの、例えば「風刺」とかいう部分は「楽天」やそれこそ明治の宮武外骨のなかに生きていて、そこは氏自身の惹かれる人間の資質のところになってくるような気がします。

「楽天」が「明治」、「一平」が「大正、昭和初期」の漫画家としてとらえられてきているが、氏は前作の「手塚治虫=ストリート漫画の起源』のなかでふたりが亡くなった年を比較し(一平が昭和23年、楽天が昭和30年)、しいて言えば《二人は戦後の人としても十分扱える》視点もある、と書いています。

『手塚治虫=ストリート漫画の起源』のなかで氏が手塚が「楽天」と「一平」をどうとらえていたかを書いているところがあるので引用してみます。

《手塚は、小学生のころに、楽天と一平の基本的な違いに気づいた。「楽天の絵はすごく外国マンガに近く」、「一平の漫画はどこか仏くさい」ということである。・・・中略・・・手塚が気に入り、影響を受けたのは、楽天のほうである。》

では、そのなかでも「一平」が手塚になにか「影響」(運としての遣り取り)したものは何でしょう。

それが「映画的表現」というものなのです。

しかも「一平」は天才的で幅が広い。

《「岡本一平は、器用さでいうと楽天の数倍勝る腕があるんです。ペン画から筆画から日本画、南画(中国画の二大流派のひとつ。水墨・淡彩で山水を描く)にいたるまで、なんでもこなせる幅の広さがありますから。」》

運の流れでいうなら環境といものは大きい。手塚はコレクターだった父の影響のなかで「一平」「楽天」と出逢っていくのです。

そして氏のなかでは大好きな手塚の向こうに、《楽天、一平の育てた壮大な「漫画のスピリット」》が見えてきたことで、日本漫画史が現代まで【一気通貫】すると書くのです。麻雀漫画の原作もする氏が使う麻雀用語【一気通貫】で「おう、なるほど」と私はうなってしまいました。視点とその熱意と資料の豊かさに、圧倒されます。

「ひと」が好きなんですね。そして「運のながれ」をきちんと視る「まなざし」が氏の作品には常にきらりと光っているのです。

前作『手塚治虫=ストリートマンガの起源』のなかにそのあたりを感じさせてくれる文があります。

「遺伝」と「環境」という「運のながれ」を紐解いてくれます。

同じようにこの新書でも「楽天」にも「一平」とくに「一平」から息子の岡本太郎、そのあたりの流れに、生まれた場所の作用みたいなものが見えてきたのでした。

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二章では北澤楽天について。ページ数も76pと、かなりの枚数、楽天について書かれています。

「かの子の夫であり、太郎の父である、という意味で知られている(p38)」一平と比べても、「現在ではあまり知る人のいない人物(P38)」について光を当てる氏の目線がまたいいですね。「運」、「出逢い」のかたちで花開く人物の一生がよくまとめられています。楽天の横浜通い。場所のちからですね。横浜には「海外文化に触れられるような出版物」がたくさんあり、「知的好奇心で、楽天は横浜によく出かけていた」のです。神田の生まれで環境にも恵まれ、一度は医学の道を志すがやはり画家の道で行きたい思いが強く、当時の俊英たちが集まる絵画塾にも籍を置いていたのだが、開学したばかりの東京美術学校(いまの芸大)には行かず、横浜の英字紙の漫画記者になるのです。このあたりの経歴も面白いですね。氏は楽天のことを次のように評しています。「通俗的な意味での出世を目指す人間ではなかったのだろう」と。

そこからの出逢いが「運」として次々と花開いていくところに氏はきちんと照準を合わせています。

『今泉一瓢との出会い』があったことやその英字紙の社員に「ナンベル」という風刺画家がいたこと。出逢いですね。

「欧米の第一線の風刺画家の世界」を「吸収」していけた運。

運だけではなく、氏は「僥倖」とそこで言います。福沢諭吉の甥っ子である「今泉一瓢」(アメリカで絵を勉強してきた人物)と出会い「甥との出会いによって福沢と出会い、やがて彼が創刊する『時事新報』の記者になる道が開けたのである」と書きます。

「僥倖」とは、【偶然】に得る幸せ、「思いがけない」幸せのこと。

「運」のいちばん強烈なかたちです。こうこうこんなふうでと意識化する「計画」の「成就」とは違います。

報われた、それも思いがけないところから。レールから外れた時、それまでの流れがなにか不思議な絡みのシナプス、運の電流が走って、「僥倖」が訪れたのです。

まずは英字紙に入ったところで、「諷刺画を描く仕事を手に入れ」、「自分の才能が蠢くものを感じ」るのですが、「時代」の流れによって「風刺精神を封じられ」、結果、フラストレーションのたまった「くすぶり時代」を味わうことになるのです。そんなとき福沢諭吉の甥「一瓢」との出会いの縁で「僥倖」が訪れます。福沢が作った新聞『時事新報』に発表の場を得るのです。福沢という「キュレーター」がいたから「僥倖」は訪れたのです。しかも福沢が亡くなる2年前、ぎりぎりのところで、『時事新報』という自由な発表の場を得たのです。福沢という「慧眼」があったから、と考えると、「運」の流れ、出逢いの組み合わせは歴史をも作っていく、と考えると、その「運の遣り取り」というものが不思議な縁でなりたっているな、とあらためて思うのです。

「漫画誕生」の出会いのところをじつにすばらしい資料と探求力とマンガへの愛に満ちた筆力で、こんなに「まじめな」本を作ってくれたことに、また拍手。

漫画の祖、北澤楽天のことを知って、またひとつ、この私(爺)もなにか人生の幅を得たような気がしています。

諧謔としての「運」を楽しんでみるかな、と思っています。今回のリアルタイムの楽天アンテナ基地電磁波公害問題も爺の「時事漫画」ふうに表現する愉しみができたととらえるのも「運」の側からの視点です。

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【突然の楽天モバイルアンテナ基地局に反対します】

  ご署名いただければ『僥倖』です

《楽天が『時事新報』に「コマと文字の組み合わせ」で連載したものには「時事漫画」というタイトルが付いている。現代から見れば当たり前のことのように思えるが、これが実は画期的なことだった。北斎のように絵も一級でありながら大衆が楽しめるものにしたかったのだろう。――〈中略〉――楽天の漫画こそが、現代の漫画に連なる大河の、最初の一滴と私は考える。》

北澤楽天のことを読んでいくうちに今回、「風刺する運」「時代の運」「経済としての運」そういったもののなかで「ジレンマという運」が芽生え、人生をやがて静かな枯淡の境地の水墨画を描くようになる。「隠居という運」があるのだ。戦時中は「時代の運」をもろに受け、「風刺する運」の力も消え「戦意」をあおる「役」を担い、それでいて「何百人とも知れぬ戦死者の肖像画を描いた」という。

戦後は「水墨画がほとんど」だそうだ。「枯淡」ですね。上手に枯れていく「枯淡の運」というのがあるのだ、と。

竹内一郎氏のこの本、しっかり、今回、熟読させてもらい、爺のなかには、この楽天というひとの印象がしっかり残りました。

氏の資料収集のひとつの場所となった「さいたま市立漫画会館」、次回このコロナ禍のあと東京方面の旅の折に、ぜひ寄ってみたいなと思う場所が出来たことが、また爺の「運」です。こんな流れとともに生きております。

楽天の章の最後のところ、氏の見立て、いいですね。

《戦後は、出身地である埼玉・大宮市に居を構え隠居生活をする。最後は水墨画がほとんどで、まるで禅僧の絵のようだ。根本的に欲のない人だったのだろう。1955年に逝く。享年79歳。  楽天夫人は、自宅を大宮市に寄贈して逝く。楽天の気風の良さを受け継いだのだろう。その跡地に現在あるのが「さいたま市立漫画会館」である。あえて「楽天」の名を付していない。その風通しのよさがあって、現在も地元の人々に愛されている。》

いい本でした。

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そして琥珀亭ではリアルタイムの楽天電磁波鉄塔問題

21世紀最大の健康被害問題だと言われています。

     草々  

爺虫(じいむっしゅ)のインスタ貼り付けておきます↓

https://www.instagram.com/shigetakaishikawa

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