自分を見誤る人たち
2020年からの新型コロナ大流行で結構顕著になったと言うか表にでてきたって言う感じかもしれませんが、自分自身を見誤っている人は増えたと思います。
自分が大物であるかの様に振る舞うというのはある意味では大事ですが自分の能力以上の存在だと言う自己認識が出来上がりいわば誇大妄想的になってしまうような人が増えていると感じてる人は、多いのではないでしょうか?
実際、顕著になったのは2019年ごろから
新型コロナの流行でそれらが表にでてきたと言う印象なのは否めませんが顕著になったのは2019年ごろからと言えます。
理由の一つには、スマホをほとんどのおじさん年齢、おばさん世代の人が持つようになったのはあります。
それまでガラケー、ガラホで対応していた人達がほぼスマホになりかわり、またタブレットを併用する様な形も身についてきてからと言えますね。
その頃になるとLINEを含め、無料でメールも通話もニュースもわかる!なんて言うアプリをほぼ全ての層が利用していますし、おじさん年齢、おばさん世代も確実にそれを利用している訳です。
が、ほとんどがいわゆるIT音痴。
ITがいまやICTがメインとなってきてる中で漸くITよちよち歩きの人が初めて触れたそれを最強だぜ!となってしまう事、また用途に合わせての利用や好みによる利用等もあって、LINEを使わないけどMessengerなら使うて人もいますし、Skype一筋の人もいます。
仕事ならば、これらを使い分ける為に複数インストールてのは当たり前てのがだいたいネットが勃興し始めた時からネットを活用している、携帯電話でメールやネットができるとなればソレも活用していた層には当たり前だった事が、年を経てネットやメール、SNS等に触れた人には理解できない範疇で、自分が実はすごく知っている気になって他に対して横柄にネット講釈を垂れる人が増えたてのもありますね。
でも潜在し始めたのは2016年位じゃないかと思う。
しかし、それらが潜在し始めたのは2016年頃でしょうかね?
スマホも行き渡り始めますがガラケーなども生き残っている時代。
また、日本の携帯電話は基本的にスマホ同等というかほぼスマホでフューチャーホンなんて言葉などが誕生し始める時期。
その中で、自分たちは流行に流されない、見る目があると自分を慰めていた様な層はこの時期に生まれていると言っても過言じゃないかもしれません。
実際、スマホとガラケー、フューチャーホンの両刀遣いなんてもありますし、タブレット+ガラケーなんて組み合わせもありました。
なので、自分達がスマホやタブレットなどを使わないでもやっていける優秀さがあるんだ、と言う事にしておく、思い込んでおく人も多々見受けた事も多い時期ではありますね。
しかしながら、もともとネットを使っていた人、PCやITに慣れ親しんでいた人にはそれは当たり前で用途に合わせて使っていただけの事、なのですね。
その時期に、LINEやMessenger、TwitterやFacebook等を登録していても活用せず、また連絡程度の何かにしかしてない人は、PCで会議の記録を取ると言う事をする人すら馬鹿にする、というか敵愾心を持ちビジネスの基本がなってない、と言う事を言う人も多かったのは事実です。
まあ、メモを取るのがパソコンに取って代わられただけですが、当時時点ならまだノートにメモをして後でまとめる方が有利だった事もあるはありました。
なぜそこまで敵愾心を持つ、謎の敵意と否定感を持つのかってのは判らない人も多かったと思います。
実は価値観の変化に追いついてなかった
2009年9月に自民党が下野して、民主党が政権を取ります。
4年弱ですが、自民以外が政権の中心に居た、と言う事実とそれまで政権運営したことがない政党は政権運営では省庁(官僚)にはかなわない現実を見てしまったのも事実です。
また鳩山元総理が「マスコミがこんなに怖いとは思わなかった」と言う様な発言を残しておりますが、マスコミが決して報道や社会正義でもないと言う事を露呈したのもこの民主政権の時代ですね。
つまり、マスコミを信じて良いと言う価値観が壊れています。
もっともこのnoteで記事を書いている人が居るようにマスコミというかメディアや政治家、省庁への信用と言うのをしていない人たちってのは少なくない数で当時も存在していましたし、インターネットが日本で一般的に使われる様になった頃(パソコン通信の時代も含めて良いか)からやっている人は、何を今更なのでした。
ですが、そうでない人には新鮮(?)な価値観の崩壊です。
今まで信じていた物が崩壊すると言うのは恐ろしいもので、その後の安倍政権の長期化につながったとも言えますね。
安倍政権は然程目新しいもんではないですし、安倍晋三元総理も政治家としては普通です。
その普通が目立つ様になり、評価があがったのはネットを利用した自サイドからの情報発信などを多用したのはあると言えますが、それもネットを低く見ていた人達には非常に驚くべき価値観の崩壊です。
ネットの闇だのなんだのマスメディアが言っていた部分、その様な報道の多さからネットを利用する=程度が低い、ネットを利用しない(もしくは少ない)=程度が高いと言う意識は漠然と持っていたでしょうし、それを自負する事で他社や他者より自分が優位だと、自分を慰める事も可能だった訳ですから。
しかし、ネットやスマホ、ITやICTなどが有用であり知っている事、利用できる事が有利になるとなれば自分達の価値観はなんら通用しません。
時代遅れの人が、必死に時代を否定してるだけ、自分が正しいのだ!と必死に叫んでいるだけに見えるのです。
安倍政権が壊したのは使えなくなった価値観?
安倍元総理は「戦後レジュームの脱却」を謳っていましたが、実際に脱却したのはアップデートできなかった、というかアップデートが続いているのに過去の価値観をそのまま使ってなんとか頑張っていた守旧派だったように思います。
これは保守だ、革新だと言われるサイド双方に起こった事といえると思います。
実際、保守や愛国を名乗る人も安倍政権に批判的ではありますし、改憲絶対!な人も安倍政権の下では駄目だと言う、状況により憲法の改正を唱える必要あり、な認識になったりしました。
これはフェミニズムや男女平等などでも同様かと思います。
20世紀の頃の様な欧米追従型ではない状態になっている、多様性が重視される状況で言ってた事なのに多様化したらついて行けなかった現実を見せられ価値観が壊れてしまったと言うのはあると思いますし、それによる先鋭化が今目だっているのではないか、と思える状況なのですね。
政治や社会でもこの様な感じになっているのなら当然、個人や小さい企業、組織や団体でも同様と思います。
これまでの自分達の持っている権利や発言力、またそれを行使するコミュニケーションの場と言うのが有ってこその守旧派の立場の維持でしたがそれらが壊れる、言ってしまえば既得権の喪失、既得権益の消失が起こったといえる状況でした。
ただ、政権がやった訳じゃないですね。
既得権益を自然発生的に壊したと言う事では安倍政権と鳩山政権は評価されて良いかもしれません。
2020年にはコロナで対面の場が大減少
新型コロナ禍により、対面で会う場面が減ると先にあげた様な守旧派の立場はさらに崩れます。
多様性をもって活動できない、アイデアを出すのは誰か別の人、纏めるのは自分とアイデア出した人、自分は売り込む!みたいな感じで能力を持っているまたは持っていたと思っていた人程、自分の場を失っていくのですね。
リモートだのオンラインだのを活用する場合には実はダイレクトな相手の反応を理解できる人は、過去からそれらに慣れていた人か理解している人でないと駄目ですね。
どんなに機能をてんこ盛りでやろうと、初心者であり理解がない人はその機能をただ作動させただけになり、相手とのコミュニケーションができなくなります。
営業だったら内心はどうであれ、表情や声音は相手の立場にたった物である必要がありますが、それも相手が見えていればこそ。
相手がその場に居ないと思い込んでしまうと、顔は相手をバカにしているような顔や自分の思い通りにしてやろうという表情などが出てしまう人も居ますし、態度が横柄そのものになっている人も居ます。
リモートやオンラインでの会合はその場にいませんし、モニターの中の顔を気をつけていないとなりません。
そこに気をつけられるかどうかは、本人が本当にどれだけの誠意や敬意をもって相手に対するかが出てしまう場、でもあったりするんですね。
逆に、昭和の悪癖の様に言われていた受話器をもってお辞儀してしまうおっさんやおばさんの方がリモートやオンラインでの対人評価は高くなったりした、なんて話も聞き及びます。
その先に人がいる
電話でお辞儀をしてしまう人ってのは、その先に人が居て人を相手にしていると言う事を理解してる、または相手が人である、取引先や部下、仕事の依頼先などの意識を常に持っているという事も言えます。
勿論、昭和のサラリーマンの様に電話でお辞儀、コメツキバッタなんて言われる様なのもどうかと思いますがその意識があれば電話が終わった時にお辞儀とか挨拶などが出てくる訳です。
しかし、会ったときだけいい顔してればが見に染みてしまうと、電話の延長と思っているリモートやオンラインで相手を見下す、相手を利用する、できれば言いなりにさせたいなどの欲が表にでてしまうのですね。
そして信頼を失っていきます。
今までは、会ってなんとかすれば良いだった事やモノが会う前の態度や姿勢、また会ってもマスク越しと言うハンデが出た結果、従来の勢いと乗りとおだて等で乗り切っていた事が通用しなくなったと言えるのです。
自分は、優秀でありできる人材だと思っているのは良いですが何より優秀だの今までの経験で大丈夫、なんて感じで慢心したり、新しいモノに飛びつく人を侮辱的に見ていたりした人、また自分が最先端だと思って他の人の蒙を啓こうとしていた人ほど、時代の変化に追いつかず自身の能力と運を過信する、見誤るようなことをしまくってしまったのがおそらく2020年のコロナ禍での一番大きな後遺症なのかもしれません。