人の幸せを妬む人
2022年はある占いによれば、物や金などの物理的な物の量を多く持つ方が幸せっていう認識から、好きなものや事、人とのつながりや精神的な満足の多さが幸せの基準になるっていう話があり、それを地の時代から風の時代へ、なんて言う風に言っている占いもあります。
まあ、今は風邪の時代ですけどね!!w
この精神的な充足度に関して言うと他人と見比べる事をすると満足は行かないものとなる場合が往々にしてありまして、自分はこんなに頑張っているのに、どうして誰も認めてくれないんだってなると幸せそうな人を見ると嫉妬に駆られるというか、怨嗟の炎を燃やしてしまう人も多い、とか言う事になるんですけれどもね。
幸せって何だっけ?
人それぞれに幸せってのがあると思いますが、その幸せや幸福度ってのはやはり人によって違います。
人によって幸せや幸福の度合いが違うように、幸せや幸福の価値基準はやはり色々あって、それが普通に存在できることこそ多様性の証なんて面もあったりするのは、一応社会学関係でも行政関係でも認められてはいる話。
そして、その幸せや幸福ってのはその人が満足するかどうか、って面が強いですよね。
人にとってはそれで満足なの?って思う人もいるかもしれませんし、まだそれ以上の満足を求めるんだ?と思うひともいると思います。
ただし、自分の思う幸せや幸福の条件を他者に押し付ける事をするのは他者の不幸せ、となりますのでやっては行けない事なのですよね。
どんなにその相手の幸せや幸福、満足が気に入らなくても、その人からそれを奪えないし、公共の場から追放したらいけない訳でして、誰かの幸福基準や満足度に合わせて社会を動かすってのはそれこそ、リベラリズムの人が蛇蝎の如く嫌ってる様に見えるファシズムそのものになってしまうのはあると言う事になります。
とは言え、自分の幸せや幸福の基準を人に見せたいと言う欲望は尽きないし、それを認めさせて称賛されたい自己承認欲求もまた強いわけです。
幸せは突き詰めれば欲望の充足です
幸せを求めるのも幸福を追求しそれを充足させるのも突き詰めれば欲望の充足ですね。
恋愛においてだって、相手の心を独り占めしたい欲望が強くでると束縛状態になりますが、お互いの波長が合えばカップル成立、結婚して幸せな過程を築ける可能性は有るわけですから。
なので、欲望をどれだけ充足させられたかが個人の幸せや幸福の充足度を満たすか否かの分かれ目と言っても構わないわけです。
欲望と聞くと邪悪を感じる人も多いと思いますが、キリスト教教会原理主義でも無い限り、欲望や野望などはそれほど悪い意味には取られてないのはあります。
要は望みを欲するだけの話、と言うかんたんな漢字分解になってしまいますが、多かれ少なかれ欲望に突き動かされて人は生きているし、人が生命体である以上、欲とは切っても切れない間柄。
一生をともにする永いお友達な訳ですよ。(兄弟姉妹の間柄かもしれん)
この欲望だって人それぞれの形があるわけですから、この形を認める事が社会性動物である人、人類、ヒューマン・ビーイングの知性のあり方ってな面になります。
そして他者の欲望は、当然人に寄っては不快になります。
不快であっても否定してはいけない
相手が不快な欲望や夢、希望、幸福感を持っているとしてもそれを否定してはいけないわけですね。
相手サイドの欲望や幸福が多数派だったら否定されるのはあなたです、と言う理屈もありますが、人が幸福に暮らすためには個々の幸せの自由、内心の自由を保証する必要があるのが現代社会です。
内心の自由や尊厳、幸福までをも社会や国が束縛するのは独裁国家の全体主義国家くらいなものでしょう。
そうならないように、人の幸福や幸せや欲望を否定する事はできません。
ただし、犯罪を行う事や、人の幸せを奪うなどの他害する行為は処罰対象になりますし、もちろん人の行動を抑制する欲望も基本的に認められて居ないですし、行えば犯罪の可能性もあるのですよね。
つまるところ、みんなが其々楽しくいきてりゃそれで良い。
その他者の幸福を満たすものや願望や欲望を満たすものを利用して利益を得ても、それを非難する事もできないし(商売は大体それ)、おかしなもんだと思っても否定して排除する事もできないのも現実です。
多数が嫌っているはずだから少数の好む物を消せ!ってのも全体主義や独裁国家化を防ぐためにはやっては行けないってのは、まあリベラリズムを知ってる人は知っていると思うのですよねえ。
他者攻撃は隣の芝生しかみてないんじゃない?
隣の芝生は青く見えるの例えの様に、自分の物をちゃんと見ないで隣や人ばかり見ていると他者の幸せが憎らしく思える事は多くなるようで攻撃的になるとかならんとか。
近代は、住宅地が増えて一戸建てに暮らす人も増えて参りましたが、ご近所トラブルも増えているのは事実として存在しております。
この辺も聞いてまわると、他者の幸せそう、楽しそうに対して嫌悪を持っている面は有るようでして、例えば引っ越してきた夫婦が楽しそうにしてるだけでうるさいだなんだと難癖レベルの怒鳴り込みをする人もいるとか。
この様な場合によく見てみると、引っ越してきた夫婦はほぼ新婚で幼児がいる家庭。
家を買って、家族で楽しく和やかにって言う希望にあふれている訳ですけれど、転じて怒鳴り込んだ人を見ると、既に一人っ子は成人し親から離れていく状態。
この状態は高校、大学と進んでいくと徐々に顕著になっていく訳ですけれどその頃から親も子供が居ない生活に慣れていかないといけない訳ですね。
ただ、その怒鳴り込んだ人は母親として子供とべったりな部分があり、子供が離れて行く段階に入ったら、子供を持つ家庭への当たり方や近隣の子供施設や託児所などへの嫌悪をつのらせて行ってた訳ですが、新しい家庭で子供と親子楽しく暮らしていると言う一家が引っ越してきたらそれを目の敵にし始めたのですね。
子供も独り立ち準備しているわけですから、自分の時間を持てば良いだけですし、他の楽しみを持てば良いだけの話なのですが子供から離れられず、そして愛情を向けているはずの子供には嫌われる。
そりゃしつこければ子供はうざいと思いますし、余計に離れていくのは必定というところでしょう。
それにより自分の愛情の行き場や受け取るべき愛情がある、と言う欲求が満たせず年齢的にもホルモンバランスが崩れ始める時期。
様々な要素から、難癖、言いがかりレベルの突撃をくり返し、とうとう追い出してしまった訳ですが、それもこれも子供と楽しそうな母親、仕事から帰ると子供の相手をして休日は必ず子供と遊んで、また家族ででかけてと言う事をしてる姿そのものが、その人の求める愛情を他者が奪っているかのように見えていたのかもしれません。
とは言え、それは過去に自分も経験した幸福であり、受け取った愛情であると言う事を考えれば、無いものねだりか新しい幸福や幸せを見つける事ができず過去のそれを追体験したいだけの話なのかもしれません。
ちなみに、私の生息エリアで実際に起こった事例だったりいたします。
まだ解決してねーんですけど、この愛情不足に関して考えてみる必要も他者攻撃には必要なのかもしれません。
幸福=愛情もしくは満足=愛情と考えると……。
幸福を愛情として考えてみる、または満足=愛情として考えるならば例えばどんなに美味しいモノを食べまくっても、満腹以外の充足感はない。
ただこれが好きな人や気の合う仲間と言った場合の満足度はどうかってことですね。
楽しい、美味しい、嬉しいなどの多幸感で満たされるのじゃないでしょうか?
だとすると、幸福や満足が愛情の度合いであり受け取ったか渡したかによる訳である、と考えると過剰、過激で不必要な他者攻撃は愛情不足、または愛情を発する事ができない様なホルモンバランスや精神状態と言う事も考えてみる必要があるのじゃないかな、なんて思ったりします。
もちろん、私は医者でもないのであくまで仮定となりますが前述の事例を見ても、狂気度が増す過程には子供が成長し、親から離れていく段階が関係してる面があります。
この狂気度は親(母親)が子供に対して与えた愛情に対して返ってくる愛情が無い、少ないなどの不満があるとも見えるのですよね。
そして他者にあたる。
他者はそれに辟易して離れていくし、新しい人もべったりになってくれないと敵認定の様な状況。
これでは、狂気を加速するだけですがこれ以外にも満足度を充足させるに足る愛情が不足している人々は多くが、他者に対してまたは楽しそうな人や、嬉しそうな人、もしくは満足度が高そうな人に対して嫉妬や怨嗟とも言える念をもって攻撃してるのじゃないでしょうか?と言う仮説も成り立つかな、と。
もちろん、私は医者ではないですが地域においてメンタルケアをする様な仕事にも関係してるとなるとこの様な仮説も立てて対応してみるのもありか、と思ったのです。
もちろん、無償の愛や自己愛で満足というひともいると思いますし、返ってこない愛に満足してる(様に見える)人もいるにはいるでしょうが、そういう満足してる人の多くに自分の不遇を理解させたい愛情の裏返し、愛憎なんじゃないかな、と。
だとすると、そこで幸せそうで攻撃しやすそうな人がいるならば攻撃してしまうのではないか、と。
そういう目線で最近のオタクバッシングを考えると……。
オタクってのは、世間に好意的に受け入れられたのは結構最近でしょうね。
電車男の頃からオタク界隈の実態が垣間見れる様になって、またネットの一般化やアニメの一般化、これはそれらを見て育った子が大人になりアニメもまた当たり前ってなった事に由来しますけどということやゲーム、特撮また様々な海外ドラマや漫画や小説が一般化してる面に影響受けています。
萌え絵と言われるのも要はアニメ絵ですから一般受けする要素が大きいのはまた現状ですね。
その中でオタクって言われる界隈は強烈にそれが好きって層です。
特撮オタクもそうですし、ジャニヲタもそう。
熱烈かつ強烈に好きなそれを年甲斐もなく追い回していると言う事では2000年代中盤までは異端であったのですよね。
だから、オタク=犯罪予備軍としやすくメディアは異常犯罪や猟奇犯罪なんてのがあれば、オタクの仕業として一般人の安堵を演出させてきました。
人間は少数の異端を見て安心し、自分がその少数要素を持っていないとして安堵することになるのですが、アニメや漫画を見てるからゲームをするから犯罪に走ると言う理論を述べるマスコミ知識人などの言葉で安心し、じゃあ自分は安心だ!なんて思うのですけど、文学や小説やそれすらが一般に読まれる事ない特殊な貴族趣味だった時代から猟奇犯罪や異常犯罪なんてのは多々有った訳でして、もしアニメや漫画の影響でなるなら子供の頃から見てるというか子どもたちの方が犯罪に走るはずなんですがそれもないのですよね。
結局は大勢サイドの方での安心感がほしかっただけ、となりますがその点ではマスコミの犯罪に対する誤解を助長した罪はでかいですね。
とはいえ、オタク差別の歴史って永いですよ、と言う面もあります。
おたくさべつなんてない!と声高に叫んでも色々あるんです。
90年代まではオタクは異常者扱いでもある
オタクってのが「おたく」と表記されてる時期からオタクは異常者または社会不適合者的に扱われているのはありますが、そのおたくという言葉が一般化する前にはマニアやファン、または○○キチガイと言う言い方で分別されていました。
この○○キチガイなんてのは略して○○キチなんてなりますので、釣りキチ三平なんて漫画は今じゃあ、あまり表に出せない様なタイトルと言う事になります。
マニア、ファン、○○キチガイ界隈で困った存在としておたくなんて呼称、あるいは符丁なんて感じで使われてた言葉が、マニアやファンなどもひっくるめて言う様になったのは、マスコミやメディアがそういう人達のせいでモノが売れない!なんて言うアナリスト(を自称するなにか)に乗せられてなんて説もありますけれど、実際にオタクの財布は趣味に全ブリと言っても構わない状態。
なので、80年代からマニアやファン、○○キチガイやおたくを含む全てをひっくるめて社会に役立ってない!なんて感じで叩いた事もあります。
まあ、コラム程度なら問題はないのかもしれませんが、そういう訳にもいかず、おたくって言葉だけが独り歩きして気持ち悪い存在、差別して良い存在の様になっていったのはありまして、この中には今で言うジャニオタやヅカファンまで巻き込まれていました。
要は売りたい商品が売れない事の言い訳で豊かになった社会の所為で趣味が多様化とかいいつつ、自分たちの売りたい趣味のみに独占したがったと言う面もあったりする訳ですね(オタク界隈では恋愛市場主義とか言う言葉もあったくらいにw)。
救世主ティム・バートン
おたくがオタクになり、少なからず社会が受け入れる要素ができたのは実はティム・バートンの存在がかなりでかいんですね。
バットマンでメジャー映画に躍り出てきますが、ビートルジュースなどでの知る人ぞしる、な監督からメジャーになったときに彼は自分をオタクだと言っていて、日本だと良い意味じゃないと言われる始末。
ただ彼は、オタクってモノを作り出す趣味人としての海外の認識をもってきているので、そのままおたくはオタクとなりシザーハンズやジャイアント・ピーチ、ナイトメア・ビフォー・クリスマスなどで一般人気がでるとオタク自体も一般での受け入れが始まる準備ができたような流れもあります。
オタク自体は特に変化した訳ではないですが、タダの現代では行き過ぎた趣味人としての認識に代わりつつ有る中で先に書いた電車男ですからまあ、それなりに知識を持ってる、情報を持ってるなんて認識からちょっと詳しければ何々オタクって言うのも出来上がってきたりしました。
結果、より趣味に走って良いんだになってマスコミというかメディアでのオタク嫌いの人が暴走する理由、マスコミの情報発信や宣伝の効果が落ちるてな面も出てくる訳ではありました。(広告代理店の危機感とも言う)
テレビの視聴率が落ちる事の理由をゲームにしてみたり、ネットにしてみたりしますし、バイクの売れ行きの現象もケータイの所為しにてみたりしますけど、大元にはカネがない日本が顕在化してきただけなんですよねえ。
その中でオタクは趣味に金を膨大に使うと言う印象だけが動き、オタク商売を画策するのですけれど……。
オタクは愛情をそれに注ぐが…
返ってくる愛情はそれほど期待はしてない状態。
グッズや作品、または関係する声優などに熱烈に愛情をそそぎ満足してるわけでした(過去形)。
また聖地巡礼と称してモデルになった地域やロケ地めぐり(これは特撮やドラマなどのオタクがメインでしたが)などの行動による散財は、モノが売れないと言う時代には羨望の消費者なんですよね。
でもまあ、基本的に愛情も満足も自己完結です。
なので、通常の商売のやり方では売れない、ということにもなってくると一部メディアではオタク=キモいをやりだしたりしますし、大谷昭宏って人はフュギュア萌え族なんて言葉を出して残酷犯罪の犯人はオタクだという決めつけやってんですよね。
もちろん、オタクにだって自己完結して満足する人だけではないのが増えてくるのはあって、彼氏発覚の若手声優がいたらCDぶち割るとか、キャラが非処女かもで本やDVDを破壊する事での決別宣言!なんてのもあったりしましたけど、これも他者に別に向いていないので自己完結ではあるんですよね。
自分の財産ぶっ壊しているんだもん。
とは言え、作品やクリエイター、アーティストやアイドルに対する自己完結型の幸福充足で楽しくやってるわけですから、本来それを対象に商売をしてる分には、良い消費者でしかないんですが。
愛情不足にはそれが妬ましい ノカモシレナイ
オタクバッシングが再加熱してきたのは2010年代後半ですかね?
それ以前は、オタク嫌いを言う人がいても表現の自由などのこともあり排除や過去の様な差別的言動はなかったもしくは少なかったはずなんですが、2010年代中期からオタクバッシングはオタクヘイトになって来たように思うのですよね。
自民党が強くなりすぎて、かつ野党が超弱体化した頃には野党もオタクコンテンツを叩く事を仕出しているのですよねえ。
例えば艦隊これくしょんは右傾化の象徴扱いで赤旗ではぶっ叩いている人もいましたし、否定的に言う人もでてきました。
赤旗の酷い記事になると、第二次世界大戦の艦船の美少女化で戦争に拒否感をなくしていく安倍政権の仕業!みたいに言う人も。
でも、艦娘沈んでゲーム自体は進行させて無い人も多い訳ですしね。
この辺はなんか変な誤解があって、例えば石破茂はプラモオタクですけれど防衛大臣の頃、インタビューを受けたときの質問に「こういうのが戦闘してるところ見てみたいでしょ!」とアナウンサーに聞かれて答えたのが「いやですよ、壊れちゃうじゃないですか」とか答えているのですよね。
別に戦闘機や護衛艦などが愛情に答えてくれる訳ではないですが、愛情を持ってしまってる事例とも言えるんですよね。
それによって、なにかある理由ではないですが、満足です。
が、この満足で幸福状態は他者、特に自分が充足されていないと言う人間から見れば妬ましいかもしれません。
先の住宅地の例の様に、自分が受けた愛情が返ってきていない不満足感や嫉妬などが過剰になっていった結果、自分たちより幸せそうでかつ自分たちより低い位置、または意識の低いことをしてる輩が満足している事への怒りなんじゃないか、と言う事も可能性として考えられるのですよね。
もちろん、当事者達はそんな事はない!と言うかもしれませんが、夫婦のほのぼの話にまで悪意の解釈と思える様な事までする、CMのコンセプトを理解しないで部分だけ見て悪意の解釈を押し付けるような事、またオタクコンテンツを叩くこと、献血における汚れた血発言などをみていると、返ってこない愛情を求めているのではないか、と思えるような面もあるのですよね。
だって、賛意がなければ消してやってない!って言うんだもんw
所謂みんながやっている、みんなが言っている論法なんでしょうけど、それで賛意を得ることで擬似的に満たされない愛情を満たしているのではないか?とか思ってしまうのはあるのですよねえ。
オタクは仲間ウチでワイワイウフフできれば良い面が強いですし、外に認められればそれはそれで嬉しい単純生物な面がありますけど、逆に性癖にぶっさされば強い味方でもあるんですよね。
承認欲求による愛情不足なら
オタクバッシングにしろ、新住人イビリにしろもしかしたら嫁いびり、婿イビリにしろ、愛情不足や承認欲求が満たされない愛情不足なら、そこはもうカウンセリングのシゴトじゃないかな、と思ったりします。
自分が頑張っている、愛情を注いでいる、努力してるのに誰も認めない、称賛しない、愛情をもって接してくれないなんて状態からの修羅堕ちならば、まず自分を見つめ直す事が必要だと思いますし、メンタル的な要素からホルモンバランスが崩れてるなら治療法を見つける事も必要でしょうし。
攻撃性が強くなる事の理由を見つければ変わる現実もありますからね。
また、自分がやってきたこと、愛情を注いだ事への見返りのなさを嘆くならそれが現在か、過去かの違いも認識する必要はあると思うのですよね。
今のオタクバッシングで時折見るのは、オタクが先に裏切ったと言う言説ですけど、リベラルサイドに対してもポリコレサイドに対してもオタクは裏切ってはいないのですよね。
勝手に期待していただけでは?って事もあります。
安倍政権にすり寄ったなんて現説もありますけど、安倍政権にすり寄ったオタク界隈はまず無いでしょうし。
例えば新住人追い出しの件でも追い出した人は最初にものすごい勢いで新住人にすり寄って行ってるんですよね。
ただ、新住人にとっては先に住んでいたお隣さん程度の認識だし、それがふつう。
ふつうの対応をされて、ふつうに扱われた事で勝手に裏切りモノ扱いしてる訳ですから、愛情の裏返しの憎悪、愛憎として過度の攻撃をしてると言う状態になっているのですから、自分の思いだけ、自分だけを愛してくれ!みたいな糞重たいのは、一般的ではないのですよね。
昔のエヴァンゲリオンブームのとき、心理学関係の放送大学を聴いていたら、それこそシンジくんよろしく自分だけを愛してくれ、自分を認めてくれ、努力してないけど!な大人が増えている、大体そのアニメを見てる層みたいに言ってるのがあったんですが、オタクではなく一般に広まってそれを見た、エヴァファンの一般人、まあいまやエヴァヲタなんでしょうけど、の三十路や二十代後半なんて存在の弱い自分だけど、認めろ、言う事を聞いてくれ感はすごい!みたいな話でした。
今のオタクバッシング層(これネットで言われるフェミやポリコレだけじゃないんだよなw)は、この影響下にある層だとしたら、愛情を注いでいる勝手に期待してる、と言う条件で返ってこないというか、愛情がふつうのレベルで返ってきていること、自分たちを理解して良さそうなオタクが自分たちに無関心に見えることでの勝手な怨嗟、と言う可能性も考えるとメンタル面でのケアや対応も必要なのかな、と思うと同時にそういう事が一般の住人間でも起こっていることや、学校の先生のモンダイなどでも出ている事を考えると、本当はもっと行政による対応とか必要なのかもしれませんねえ。
ということで、今回はこのくらいにしておきます。(何文字でもかけそうdしw)