TVインテリズムの終焉
2019年11月頃に、まだ武漢肺炎といわれていた頃からテレビの知識人の限界と言うか終わりの予兆の様なモノがあったと思います。
20年になって、新型コロナ禍の猛威の中で舞台・演劇などでのマスコミ好みの文化人の限界が出ていると言う面はありましたが、コロナ禍2年目を終える頃に、ロシアのウクライナ侵攻がおこり、テレビやマスコミ論壇の知識人や文化人の限界が来た、もしくは化けの皮が剥がれたと言う感じがしないでもないですね。
実際のところ、ロシアの侵攻があると予想していたテレビ知識人や文化人はどれだけいたのかってなりますし、メディア受けの良い学者界隈はどういった存在かも、世の中に判ってしまった感じがします。
戦後インテリゲンチャの終わりが来た、みたいな?
インテリゲンツィアって言うのが正しいみたいな話しもあります、この言葉。
ロシア語だそうですね。
自身の知識や文化・教養を誇示するために使われているなんて批判も耳にしたことがありますが、大雑把に言えば知識階級、文化階層みたいな階級や階層として表した言葉だそうです。
ロシア由来ということで、この階級等に分けた言い回しは共産主義革命での明確な階級化なんて話しもなきにしもあらず。
戦後の日本では、それまで禁書扱いだったソ連文学や共産主義思想の本も解禁された、ロシア哲学も解禁された(別に禁止してた訳でもないとも)、と言う事で学問の徒がこぞってそれに嵌った、まあ中には持てるからと言う理由でそれを始めたなんて話しも聞きますが、大勢の学徒がそれを得る事、またいわゆる新知識としての左翼思想や社会主義思想(ナチスもなんだけどねw)を流布する、それを知識として文化として語ること、また時が進むとやはり70年代の不況によってのプロレタリアート思想なんてのが影響したロックや演劇、映画や小説等のエンタメにより強化されたブランドと言う感じになって行くのもありましたそうで。
勿論、その影には朝鮮戦争や中東戦争、ベトナム戦争等の第二次世界大戦おの後には大きな戦争は起こらない、長引く戦争は国連によって解決されるなんていう理想論の瓦解があったりしましたし、その戦争の中核になる治安維持、平和維持の軍事力は比較的元気だったアメリカが担っていたなんてのも資本主義や自由主義などへの批判として動き出すのはあったのですよね。
言わばカウンターカルチャー、サブカルチャーをメインストリームに押し上げたってな感じではあります。
勿論、そのサブカルチャーには映画やアングラ劇等もありましたが、一貫して現行する自由資本体制や民主主義の名の下の格差非是正への批判等もありましたし、終わらない戦争等への厭世観なんかもありました。
その時に青春だった世代(加藤登紀子さんや坂本龍一さんなんかもそう)は、それらを自身のフィロソフィー、哲学的信条にまで昇華した人達が多いのもまた事実なのですね。
それらの人達はメディア人やマスコミ、映画関係の大御所等にも出てきますから自然と使う人が増える、と言うのもあったりします。
いわゆるコネクションですよね。
コネクションによる知識階級入りはそれは栄誉であった事でしょうが、ときが進めば色々と変化していくのですよね。
知識の象徴、文化の金字塔になっていた(彼ら彼女らの中で)その左翼思想やロシア文学、ソヴィエト文学や哲学、共産主義思想は後に赤軍テロや極左ゲリラ等の存在による爆弾テロや内ゲバによる殺し合いなどで色あせていきます。
特に思想や信条、信念のようなものはこれら行き過ぎたゲリラやテロによる危険視が広まったのも彼らにはショックでしたでしょうが、映画や音楽、小説などのエンタメ、文化などはその被害から逃れているのはありました。
特に映画や工芸、工業デザインはある意味では世界のトップクラスでかなり影響を与えたのですけれど、思想や信条、政治に対しての姿勢や社会の構造は理想とかけ離れた存在となり、鉄のカーテンの内側に行くのですよね。
そして、ソ連の崩壊やソヴィエト的思想は時代遅れ的になって行く訳ですし、また彼らの思想信条は同様に古臭いものとされてきた90年代の流れ等があったりしました。
この時に、戦後インテリゲンチャの終焉が見えて来たのですけれど、まだまだ安心感はあった様です。
彼ら彼女らは時代も次代も見ることなく10年一昔な主張を繰り返すのですよね。
特に、東日本大震災の後のたかが電気発言や電気が無くとも良い的な発言は庶民生活とかけ離れた金持ちの独善として見られる訳ですよ。
つまり、戦後自分達が取り入れた庶民の為の思想のハズの左翼思想が新たな階級、上流社会として存在してしまっていると言う状況を、しかと世間に知らせてしまったのですね。
何しろ、坂本龍一さんは電気を使ったシンセサイザー音楽で有名になった方だし、新聞記者は冷暖房完備の中で原稿執筆なんてのもあるし、左派系の言い分は金に困ってない人ばっかじゃないか!の感覚は庶民に嫌われて当然と言う状態でした。
さらに終わりを加速したコロナ禍
コロナに寄り人の集まるイベントや興行ができないとなると一番泣き言言ったのは舞台人でした。
某平田某さんは、過去にコンクリートから人へを言い、パソコンを覚えれば良いと言い放ったことがほじくり返され自身も演劇やめてパソコン覚えれば良いとTwitter等で揶揄されていたりしましたけれど、若い世代の音楽や舞台、アニメやマンガ、小説などに携わる人達はいち早くオンラインの可能性を模索しましたし、加速度的にサブスプリクションサービスが充実していったのはあります。
泣き言の様に、舞台を維持するため、劇場スタッフの生活がと言ったりしましたが、土木工事関係者に対して変化しない方が悪いと言った過去はそのままブーメランだし同情なんてされる訳はありません。
寧ろ、自分が言った事、自分達が他者に押し付けた事を実行しろの空気になるのですよね。
この中には、ロスト・ジェネレーションの年代や、就職氷河期の年代も多くいるし、子供時代に得る楽しみや経験、体験を喪失したコロナ世代もいる訳です。
当然ですけれど、これらの世代や層は知識人、戦後インテリゲンチャの主導した社会によって、様々なモノを奪われてきた人達なのですから、彼らがツケを払う番なのだ、としか思ってないのですよ。
私だってそうですしねw
戦後インテリゲンチャの多くは左翼思想や共産主義等をベースにしながらも、浅間山荘事件を景気にリベラリズムにも傾倒していくのはあります。
階級や格差等を有無事になりソ連と言う大型軍事国家がある社会ではある意味ではヒッピームーブメントへの回帰とも言える自由への傾倒ですけれど、この時にネオリベラリズムによる個人主義も強化導入って感じでしょうか?
様々な努力は必ず報われるという事をいい、努力が報われない人は努力が足りないのだ、なんて事を言ったりしても許された時期があったのは事実。
また、左翼経験を自称する人ほどこの手の知識を都合よくしかも中途半端に取り入れるので、他者への苦労の押し付けを正当としてしまうのですね。
クラッシャー上司とかブラック企業の社長や役職持ちはこの傾向の成れの果て、なんて言う話しもありましたけれど、実際そうだと思います。
これらの人は過去に左翼活動をしていたか、新しい考え大好き!でそういう人達やテレビでのインフォメーション、知識情報をワイドショー的なモノや自己啓発セミナーもしくは本等で仕入れるのですよね。
そして共通して、左翼ネオリベ的な事を言う有名人にころっと騙される、というか、そういう人の言い分を鵜呑みにしてしまうのですね。
しかし、それで上手く行かないから下の者の責任、努力の足りない部下や社員の責任にするわけです。
君等が責任を取る時が来たぞ!
ロシアの侵攻とともに、平和や努力や考えろなんて言っていた人達が実は考えていなかったてな面が更に露呈したのはあるな、と。
ロシア(露西亜)だけに!なんて笑ってやってる自分がいるんですが、結局そういう事の拠り所であったソ連を継承したと自称するロシアや、共産主義を変えていっているとされている中国の存在が世界の危機の根幹となった時に今までの言説は消え去ったと言うのはあるでしょうし、薄々感じているのはあると思います。
現実には共産主義もネオリベラリズムもポリティカルコレクトネスもなんも、思想信条政治思想である限りは、戦争をおこす事は不可避な存在であるなんて面も出てきてしまいました。
さんざんナチだのファシズムだのと敵視する相手や勢力に言っていたのに、ロシアの侵略行為はネオナチを言い訳にした、ヒトラーの電撃戦と同じ遠方にすむ同胞の救出といった理屈。
まあ、Janon系はDS(多分バスタードは関係ない)との戦い等と喜んでいる人も多々見受けますけど、そういうもんとはまるで関係ない戦いが起こってしまった訳ですよ。
ロシア擁護もする反面、戦争は対話でかいけつ!と言っていた人達が軒並み及び腰ってのも戦後インテリゲンチャの限界をみせてしまいましたし、9条は世界を平和にしてきたとか戦争を防ぐと言っていたひと、世界のたからと言っていた人達が手のひらを返しプーチンや安倍の様な独裁者から国を守るため!とか言ってる始末。
実際にはパリ不戦条約の批准国が入れる条文なのでウクライナもソ連を継承したロシアも持っている筈なんですけどねw
しかも憲法は変えようと思えばどうとでもできるし、権力者が停止を決めた時点で議会が機能してなければ有名無実って言う代物であることも理解してないかのような狼狽えぶりは、そりゃ知識階級への幻滅になって当然だし、今まで言ってきたこと、やってきた事への責任をとれ!と言う世論が形成されていてもおかしくない。
現に、テレビアンケートでは核シェアリング議論賛成が80%近くにいったり(討論番組中の集計で)、核保有に70%近くが賛成するなどの現象がでています。
日本共産党だって所属議員と党で結構バラバラだし、言う事が二転三転と言う状態。
これまでの、世界は多分この程度の推移と言う甘い予測をした知識階級、文化階級の戦後処理が始まっちゃったね、と言う話しになるんですよね。
この点は、戦後の右派というかネット右翼とされてしまった層が言う「今は戦後ではなく戦前である」と言う認識が大事、もしくは正解だったのだねえ、と言う空気も無きにしもあらずな感じになっています。
戦前が終わり、戦時になったと言う時に、戦争は対話で解決しようとか、武力を放棄すれば攻めてこられないなんて事を言って危機を増やしたと言う思いが出てきてる今、そろそろ責任を取れと言い出す民衆の空気が発生してもなんらおかしくはない状態なのですよ。
すでにネットは万民のアイテムですし、スマホで様々な情報を手に入れることができる。
左翼ネオリベなんて言葉を政治活動と無縁のひとも言い出す昨今の状況では、彼ら戦後インテリゲンチャの責任を問う声が出れば確実に一般の意識となる、というのは恐らく当人達も気づいていると思うのです。
それが、文化階級や知識階級の少々見苦しいツイートや、ワイドショーでの無茶な理屈、また今更安倍が!と言っている政治家等の話しになってくるし、攻めてこられたら降伏すればいい!殺されないよ!と言うひとの存在でしょうね。
実際、欧米系や北欧系の戦争が族滅戦争で無抵抗なら簡単に殺されてしまう事実も見えてきている状況でこの寝言は!と言う意識も強くなってる感じですし、ウクライナからの帰国をする日本人等も居るとなるとどういう事が戦争か、と言う事も出てくると思います。
捕虜にできるのは兵士だけですが、一般人は抵抗したとみなされたら犯罪者で射殺も許可されてしまうんですよね。
その日本での戦勝国の支配と、現実の戦勝諸国の支配のギャップもまた彼らに責任を取らせろ論の火付け役かもしれません。
戦後インテリゲンチャ=TVインテリズム
戦後のインテリゲンチャ、知識階級の勃興や支配と言うか席巻はテレビと言う存在が大きいです。
テレビはラジオと違い、声だけではなく映像という物があり、その映像を漫然と見ているだけでもなんか知った気になれる特性があります。
つまりうろ覚えがしやすい機械といえるのですよね。
そのために、テレビにでる知識人や文化人は年を経るごとにインパクトや見た目、また過剰な物言いなども含めてタレント化していきます。
一番タレント化が進んだのはやはり80年代でしょうね。
勿論、真面目な教養番組も深夜にはありましたが、簡単な知識をインスタントに仕入れて話題にする為の知識人、文化人の存在が増えてきます。
これらは浅く、狭くの知識になってしまいますがこの当時はフジテレビの【たのしくなければテレビじゃない】みたいなキャッチに代表されるような軽佻浮薄が受けていた時代でもあるので、知識を普通に学ぶとか大きく深く、広く知識や文化を吸収する人を暗い、根暗なんて言ってた時代でもあるんですよね。
もちろん、テレビにでて軽く知識自慢をするTVインテリは受けている訳ですから、普通に話せば其れは喜ばれます。
しかし、同時にTVやラジオ、雑誌等でいわれる以上を言うと合コンの場ならつまらねえよと誹り、サークルや勉強等の場では「おたく」と揶揄され罵倒対象だったりしたんですよね。
キモい人扱いしても良いのが真面目な人みたいな時代でもあったし、何人女を食った?なんてのが男性のステータスとする、当時の四十代前後、すなわち団塊の世代の男女が多かったのも事実です。
女性だって、男性経験が少ないとバカにされていたし、女性自身が、男性に女性経験豊富を求め、自分も性に奔放だった時代なんですよねえ。
愛人バンクだ、援交だので調べるとそれ推奨してるの、結構女性サイドに多いのにも驚きますよ?
そんなTVインテリの存在は軽佻浮薄、また知識や情報、文化や学問を深く探求する事を良しとしませんでしたし、実際に考えて例えば防衛力増強なんて言う話しをしたら、普通に好戦主義扱い。
そして平和は9条や対話と言う時代ですけれど、実際にはいじめも悪化。
校内暴力通り越して校内犯罪だろ!と言うレベルだし死者もでる。
結構荒れているのが80年代で学校ですら対話でいじめも犯罪も解決できない事への、諦観は育っているのはあったりしますし、それを解決することもなにもできず心の闇とか言って逃げる、自称知識人達への幻滅も出始めている時代。
で、90年代になるとTVにでる人は適当な事を言うw
オタクが犯罪予備軍とか言い出して平気で差別と偏見を植え付けていく様な情勢がある中で、それでも政治的な正しさや新自由主義、またフェミニズムや人権といった事を唱え、じっさいの問題には目をつぶる人の増加、しかもTVインテリズムな方たちも自分と違う=邪悪な思想をぶちまけるタイプが目立ちますからね。
この状況で、様々な不条理だ不合理、いわれなき差別だ!と言う事でネットでの発言が増えるとネットの闇発言です。
これらもよくよく考えてみると、自分達の地位保全、階級の保障を狙っていたなんて言えなくもないです。
実際には運が良い、コネがあるってだけで知識人枠を得た人も多い、文化階級、知識階級になった人も多いのですから、オタクの様な知識持ちみたいのは潜在的驚異といえるのですよね。
実際、宅八郎なんて存在はオタクの対外イメージを定着させた問題や、オタク=キモくて叩いて良いの印象を作ったという点で大問題ですが、知識量とかそのキャラクターを使ってのTV出演によって存在を許されたとも言えます。
彼の存在が、TV知識人、TVインテリゲンチャの存在を相対的に清潔で清廉に見せるというキャラとして必要だったこと、また薀蓄やトリビアを言うひとが偉そうにした時に憮然とするキモいオタクをやることで、TVにでる特権知識階級ってのを維持したのはあると思っていますし。
そして終わるTVインテリズム
TVのインテリや知識人枠が、結局は使いやすいコネの相手であるという現実も多く知られてきている事になりますし、実際にネットでの著作権侵害や違法行為を広めたDTさんなんかを利用しているのもコネによる強みとかいわれれています。
現実の世界ではオタク=趣味人に変わってきていますし、創作者もその範疇とされてきている訳ですけれど、権威にしがみついた舞台のひとや演劇のひとなんかは、今はそれほど尊敬を集めていないと言えます。
演劇だからなんだよ、と言う感じや実際にはネットで情報を与えたお笑い芸人やらなにやらの方が、よっぽど好感度を上げている。
それまでの二線級だった芸能人、お笑い芸人がYou Tubeでネタを出したりして売れていく等があるのですから、おそろしいもんですね。
何しろ、TVや戦後インテリゲンチャの思うような売れ方をしない。
加えて、さんざん資本主義批判の為にだした個性や自分の感性の好きを大事にが広まってしまっているから、売れるモノが読めない。
90年代から数十年に渡り、趣味の多様化だゲームによる視聴率低下だと言ってるし、無個性化だの知識を求める意志が薄いなんて言ったりしますが、しかしながら現実に生きる人達は、智識を自分の求める形で探し、ものにしていきますし、話題やネタもネットや生活から得ていきます。
解説系You Tube動画だって受ける昨今で、そんな簡単に今までのTVの中でやっていたお手軽情報云々なんて価値はないのですよねえ。
故に、TVインテリズムの方々は終わっていっている、そしてロシア事情の嫁なさ故に、信頼も薄くなっている。
今後、実際の事に対してしっかり対応できない限りは、二度と再び信用はされないであろうな、と言う感じになっているのがあると思うのです。
で、このロシアによる止めが来る前に起こった学者様同士の内ゲバとも言える訴訟合戦だの曝露合戦だの。
この、みっともなさもTVに関係する、出ているなどの知識階級の所業となればどれだけ中身のない人が知識人だったのか!と言う幻滅というか驚きが強くでるのも当然なのですよね。
これはもしかすると似非インテリを粉砕してるって事はプーチンのお手柄の1つなのかい??
てなもんです。