何故にオタクを燃やしたいのか?
彗星の魔女の事で歴史捏造したり、日本のアニメの事で人種云々の嘘を言ったりと言う事をまたぞろツイフェミさんやポリコレさん界隈、リベラルの方面からやってる様ですが、そもそもオタクに対して敵対した!寝返った!!とか言うのもまあ違うんですよねえ。
表現規制の時にはそれこそ自民党に規制派が多いから(これもまあ色々と違うと言えるが)、野党のリベラル系に頼るなんて言う部分があった訳ですけれど、いつしか日本の表現、漫画叩きに走る訳ですよ。
ところが極右扱いの石原慎太郎が擁護する様なことを言い出したりと事、表現や創作って言う部分では非常に変化や変容また、自分たちの好みや趣味が反映されてしまう。
特に思想信条政治理念っていう立場だと、自分達が正しい、そうで有らねばならないって言う謂わば脅迫観念みたいなものがありますし、正しい自分達が否定される事の恐怖っていうのはある訳ですよね。
だから大抵の独裁者ってのは民衆に推されて出てきますし、その民衆に対して望む言葉を言う訳です。
ヒトラーもそうですしムッソリーニもそう。
極め付けはスターリンだと思いますし彼は共産主義理論の構築にも何にも関わってないに等しいのに始祖的振る舞いをする訳ですからね。
つまり、市場調査の達人が独裁者になれるとも言えちゃう訳です。
これに踊るなって言うのもまあ無理でイタリア人もドイツ人もロシア人もなんも独裁者に支配された国はだいたい踊ってるし同調圧力は何も日本の専売特許じゃあないしむしろ日本の方が同調圧力はないって言えるかも知れないんですよね。
実際、第二次世界大戦当時に自国民大量虐殺を国がしたかと言うとしてないし余程窮地になるまで非国民探しをするなんてしてない。
非国民になったからって集められて毒ガスで殺されるなんてないですからね。
あとアメリカの様に非国民キャンプも作ってないw
そんな国が一番大衆を踊らせて同調圧力を作ってきたとされる理由て、マスコミなんですよね。
どこかの新聞記者が愚民を啓蒙するとか言ったとか言わないとかありますが、新聞や報道機関は大衆を制御する魅力に常に負けていて報道しない自由だの作り出して情報でコントロールしようとしてるわけですが、そう言う部分が旧日本帝国では擬似独裁になり、戦後では大衆煽動になりデマの流布でパニックを作りしてきたって言える訳ですよ(この辺が報道の自由度が低い理由とも言われてたw)。
そう言うのに踊らされやすい人達ってどう言う部類があるかって言うと思想信条政治思想に置いて自分が自分達が絶対に正しいと思う人たちで間違っていたらそれだけでアイデンティティが崩壊しかねない人があるとか。
これらの人たちがメディアの言葉に踊って、おたくを非難しオタクを差別してきたってのを認めたら自分達が悪の側に堕ちるわけですよね。
その様なことは正しい自分達でなければいけないのですから悪は迫害された方にないといけない。
欧米での黒人差別なんて奴隷にしたりアボリジニを狩猟対象にしたりしたのは彼らが文明化されてなかったからいけないみたいなことを言う人もいた様で(何十年か前のCBSイブニングショーであったはず)、それを言う人ほど政治的には正しいと言う立ち位置に自分がいると思っていた様で、その口でKKK非難をするとかなんとか。
それは自分が正しくないといけないからだそうでして、それを崩されたら全てが終わるかの様な恐怖感を持ってるとか言う話。
で転じて日本の所謂ポリコレやツイフェミやリベラル等々の人達は自分達がオタクやオタクカルチャーを叩くのは、正しいと思ってるしその為の歴史改変も彼ら彼女らの頭の中では整合性が取れてるんでしょうが、おたくとマニアをわからずファンもマニアもおたくも危険扱いし、オタクが何かもわからずネットの闇だ悪意の巣窟だに踊り、ネオ麦茶事件でコンピューターオタクが怖い、ネットやコンピューターが危険となったりした自分達が実際はそんな事はなく、そしてネットもオタクもアニメもマンガも何もかも自分達が矯正してきたから、彼らは正しくなっていないといけないし、何より自分らに感謝しなければいけないと言う心理があると言う事になる、てな事に。
でこれらの話が私の思い込みだ!って言う事を言う人も居ると思いますが10数年〜20年近くには香山リカさんも雑誌で同じ様な事を言ってたりしましたし、前世紀の終わり頃にはネットの闇だなんだに対しての戦争に対して、異質と思えるものを一般から切り離して自分達が正しいと思い込む様な差別の心理を指摘する記事も雑誌やラジオなどでも言っていたわけですね。
またその時期はオウムのテロの事も逮捕や裁判に関わる事もやっていた訳でして、それらの記事などでも言っていましたが、その様な心理はカルトと同じで記憶の改変も教義の為と同じ感覚で思想信条政治思想の為に自然に行われていると言う話だったりしました。
間違いがあったらそれを是正すれば良いのですが、間違ってた自分では許せない狭量さが、正しい筈の報道から或いは権利から間違いをさせられたでは大衆と同じになってしまうと言う事になるのですから、間違っている悪を作り出さないといけない状態になる訳ですね。
非常にパラノイアチックな状態ですが、それが起こるのはそもそも間違いを許さない社会でも同調圧力でもなく、自分と自分に同調させたい支配欲という事と責任を負う事から逃げているということが言えるのではないかと思うのです。