見出し画像

あなたもいずれ、死にたくなる。

こんにちは。じごくよりお届けします。

※これは1個人の意見です。参考程度にしていただけると助かります。


あなたもいつか死にたくなる。

なんで死を考えるか?
ということについて。今日は書いてみたいと思います。


①未来の死にたい自分に掛ける言葉を用意しておくため
②身近な人が死んだ時にショックを受けないため

の2つがあると思っています。

①あなたもいつか、死にたくなるから。



死にたいと思う時はきっと来ます。


何かしらに追い込まれて、視野が狭くなって、死んだほうがマシだと、本気で思うときが来る。それはランダムに。来年なのか、来月なのか、来週なのか、もしくは数日後なのか。



追い込まれた時、本当に自分を保てるだろうか?



無理だと思います。僕は無理でした。



本当に、駅で電車を待っていて、最前に立っている時、「飛び込んだほうがいいかもしれない」と、本気で思いました。


冷静じゃいられない。


もし、あの時、嫌なことを一つ思い出していたら。



だから、死んでしまう。



ならば、冷静な時に、死にたい自分に掛ける言葉を用意しておこう。



それは、「死ぬな!」というものでもいいけど、もっと、納得できるようなもの。



それは、「何故生きるのか」とか、「あなたは何を実現したくて生きているのか」とか



そういう、根源的なこと。



そもそも、何故息をしているんだろう?


そこに答えがないと、別に生きなくてもよくね?と思う。


そうして、飛び込んでしまう。

死にたいと思うとき、僕は必ずそういう言葉を書いたノートとか、過去につぶやいたことを見返して、まだ生きるシロがあるよ。と教えてあげます。



②他人の死



他人って死んじゃうことがあります。実は。
えっ?っていうタイミングで。


明日にも、明後日にも。隣にいる人は死ぬかもしれない。


それが家族だったら?友達だったら?恋人だったら?


別に、大切な人だから死なない、ということはないですから。


他人の死を受け入れる時、僕の考える側面は2つ。(1)そもそも、生きているのは偶然である(2)他人が自分に与える影響は微々たるものである


です。


(1)に関してはコチラの記事をご覧ください。

簡単に言えば、「死ぬのも生きるのも、たまたまだから、生きることが特別なんて思うのはおかしい」という話です。ざっくり要約。



(2)についてですが、

他人が死んだ時、まるでその人が尊いものというか、高尚なもの、のように見える気がしていて、それは一生会えないからだと思うんですけど。それはちゃうくない?という考え方です。


他人なんて1/80億人に過ぎない。その人が自分に影響を及ぼす力なんて、すぐに誰かで埋め合わせできます。


そんなにその人が特別だろうか?ということ。ちょっと、冷淡過ぎますかね。



まぁどうせ受け入れるには冷たくならないとだめなので、これくらいが妥当やと思います。
これから逃げるから、引きずったりするのでは。



以上、今回は死を考える理由について書きました。


我々は生をしていますが、ならば、それと同等である死について考えることは別に普通のことだと思います。



そして、死を極端に恐れることは詭弁だと思います。

あなたが、生きることを諦める前にこの記事を読んでいたら、ラッキーなことです。


生きることに希望を見出すのも、自分でできることやと思います。あなたは、まだ死んでいないので。


ありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集