見出し画像

【洋楽雑考# 21】〜最も有名な効果音〜トレヴァー・ホーン

皆元気? 洋楽聴いてる? 

3月下旬にRock and Roll Hall of Fame、ロックの殿堂式典が開催され、以前当コーナーで取り上げたDef Leppardを始め、

The Cure、Radiohead、スティーヴィー・ニックス、ジャネット・ジャクソン、Roxy Music、The Zombiesが新たに殿堂入りを果たした。


"音楽産業への25年以上にわたる素晴らしい貢献"というのが殿堂入りの条件らしいのだが、

The Zombiesって、もっと早く入れてあげても良くなかったか?バンド結成1961年だぞ。


さて、今回取り上げるのはアーティストとしてはもちろんだが、プロデューサーとしても非常に評価の高いトレヴァー・ホーン。

今年7月で70歳ということで、思ったよりも意外に若いね。

つい先日"Trevor Horn Reimagines the Eighties"とタイトルされたカヴァー集をリリースしたのだが、

これがなかなか面白い。


イングランド北東部ダーラム生まれのホーンがロンドンに移って来たのが1970年代初頭。

BBCの放送用にTop 20のカヴァーをレコーディングする仕事をしていた。

なぜオリジナルをOAしないのかという素朴な疑問が湧くが、

当時のBBCは"Needle Time"という少々理解に苦しむ制約があり、いわゆるレコード盤を放送でかけて良い時間が限られていた(1967年までは1日5時間)。

この制約、1988年まで続いたというから驚くが、

逆に"BBCのために録音された音源ならば、いくらOAしてもOK"ということになり、

これが同局に残る膨大なアーカイヴ形成を助けたのだから面白い。


24歳の時にレスターで仕事を見つけ移動。

夜はローカル・バンドでベースを演奏、そして日中はスタジオ建築の手伝いをしていた。

この時期にレコーディング・スタジオへの興味が決定的なものとなったらしい。

ちなみに完成したスタジオではレスターF.C.(サッカー・クラブ)のテーマ・ソングなどもプロデュースしている。


1976年に再びロンドンへ。

女性シンガー、ティナ・チャールズのバック・バンドに参加するためなのだが、

そこで出会ったのがキーボード・プレイヤーのジェフ(ジェフリー)・ダウンズと、ギター・プレイヤーのブルース・ウーリー。

78年にホーンとダウンズが結成したのが、あのThe Buggles。

ちなみに結成当時の名前はThe Bugs(虫)。

もちろんこの名前、The Beatlesがヒントになっているのだが、ホーンは後に"Bugglesという名前をつけた事を後悔することもある。

でも、当時の私が気にしていたのはパッケージでも、自分の売り方でもなく、レコードの事だけだった。"と語っている。生真面目!

80年にリリースされる「The Age of Plastic」からの先行シングル「Video Killed the Radio Star」(79年9月リリース:「ラジオ・スターの悲劇」...なんとステキな邦題か!)はあれよあれよという間に全英No.1を記録。

それまで裏方仕事がほとんどだったホーンの名前が世界中に響き渡ることに。

また、印象的な同楽曲のPVは81年に放送が開始されたMTVで最初にOAされている。


The Bugglesの成功に伴い、ホーンとダウンズはブライアン・レーンと出会う。

プログレッシヴ・バンドYesのマネージャーだったレーンは、バンドから脱退したジョン・アンダーソン(Vo)、リック・ウェイクマン(Key)の穴を埋めるアーティストを探していた。

かくして、ホーン&ダウンズのThe BugglesコンビがYesに吸収される形となった。

"どうなっちゃうの?Yes..."という外野の声を裏切るように、80年にリリースされた「Drama」はホーンらが予想外にバンドにフィットすることを実証した良作。

実際、このアルバムにかけるホーンの熱意は凄まじく、自分の結婚式の時間を削ってスタジオにこもっていたらしい(おいおい)。

アルバム収録曲「Tempus Fugit」("光陰矢の如し"の意味のラテン語)のPVも残されているが、"動く骨格模型"と異名を取るあのスティーヴ・ハウまでも実に楽しそうにプレイしている。

同年に行われたYesの全米、全英ツアーを最後に、ホーンはバンドを脱退。プロデューサー業に徹するように。

"ずん じゃかじゃ じゃかじゃ じゃん!"というあまりにも衝撃的なノイズに世界が驚嘆したのが1983年。

Yesのアルバム「90125」収録の「Owner of a Lonely Heart」である。ホーン自らが最高傑作と語る同アルバム。

レコーディング前に、パートナーだったダウンズはハウといっしょにバンドを脱退、よりポップなスタイルのバンドAsiaを結成。

バンドの中心人物だったクリス・スクワイア(B)、アラン・ホワイト(Dr)は南アフリカ出身のトレバー・ラビンとCinemaなるプロジェクトを始動させており、バンドはまさに空中分解寸前。

ホーンはCinemaのプロデュースに携わったのだが、最終的にジョン・アンダーソンが出戻る形で、新生Yesの誕生を見るのだった。

プログレッシヴ・ロックというと、演奏面での複雑さ、高度さを見せるものという見方(もちろんそれだけではない)が多い中、

Yesの面々は"よりポップな方向性を目指す"という、プログレとは真逆なアプローチを取る。

実際、「Lonely Heart」、「Changes」といった楽曲はラビンが自分のソロ作品用に温めていたものだ。

そこにホーンが加えた音響の要素、それこそが"新たなプログレッシヴ"の幕開け、"誰も聞いたこと、作ったことのないサウンド"だったと言えよう。

結果的に「90125」アルバムは全米のみで300万枚という驚異的セールスを記録、「Lonely Heart」はバンドにとって、唯一のBillboardナンバー1シングルとなった。



ここまでのスタジオ・テクニックを可能たらしめたのは、当時日の出の勢いで台頭してきたデジタル機材の影響が大きい。

Yes大成功の前年、ホーンはイギリスのバンドABCの「The Lexicon of Love」で全英1位を獲得するのだが、当時のホーンは最新機材の追求にのめりこみ、Roland、Simmons、

そして当時イギリス国内に4台しかなかったFairlight CMIなるシンセを入手、

さらにABCのセッション中にLinnDrumというリズム・マシーンを手に入れ、エンジニアング、プログラミングの専門チームを結成している。

また、ビジネスマンとしてのホーンの才覚も特筆すべきものがある。

これは彼の妻だった(2014年他界)ジル・シンクレアのヘルプも大きいようだが、同82年に2人はPerfect Songsという音楽出版社を設立。

翌年にはBasing Street Studiosを購入し、

SARM West Studiosと改名。

さらにはZTT Recordsというレーベルまでも発足させ、

現在の"包括的なミュージック・ビジネス"の雛形を作り上げたのだった。

そして、Perfect Songs最初の契約アーティストが、あのFrankie Goes to Hollywoodだったわけだ。

もちろんリリースはZTTから。

シングル「Relax」は1984年1月に全英チャート1位を獲得し、イギリス国内のみで200万枚のセールスを記録(史上7位のセールス)、

同時に当時イギリス音楽史上、最もコントロヴァーシャルな内容とされ、BBCは放送禁止の扱いに。

話題を集めたのは良かったのだが、同楽曲を収録したアルバム「Welcome to the Pleasure Dome」でFrankieのメンバーが演奏したパートはほぼゼロだったらしい。

「Relax」にしても、バンドが演奏したヴァージョンは即刻却下され、ホーンの手によるリミックスが完成形となった。

けっこうトホホである。



で、90年代を比較的静かに送っていたホーンが新世紀明けに参加したのが、

あの...t.A.T.u. 。

特にここ日本では音楽関係者はおろか、一般大衆にも(悪い意味で)恐ろしいインパクトを与えた、

生放送のTV番組"音楽駅"(カナ表記だと、ミュージック・◯テーション)キャンセル事件や、

スカスカ状態だった東京ドーム公演が思い出されるが、2002年にリリースされたシングル「All the Things She Said」を最初に聴いた時の衝撃は忘れられない。

"これがロシアのポップスなの?"と思った人はオレだけじゃないはずだし(当たり前だ、ホーンが携わってたんだから)、

ティーン2人の編成というのもポイント高かったよね。

日本のレコード会社の洋楽プロモーションが、"まずは朝のワイドショー"という図式になったのもこの時期だった気が...



2009年には、イギリスを代表するシンガー、ロビー・ウィリアムズのアルバム、

「Reality Killed the Video Star」をプロデュース。

もちろん、ホーンの名前を知らしめたあの楽曲からの引用で、

当時(今もか...)若者たちのレコード・デビューに大きく寄与したリアリティ・ショーへの面当てだったのだが、

皮肉なことに本作はウィリアムズのキャリアで初めてチャート1位を逃した作品となっている。

ちなみに1位だったのは、オーディション番組X-Factor出身のJLS。

2011年には、Yesのアルバム「Fly from Here」をプロデュース、旧友であるジェフリー・ダウンズとの共作も実現、

素晴らしい再会となった。

そして、今年「Trevor Horn Reimagines the Eighties」をリリース。

前述のロビー・ウィリアムズが歌うTears for Fears の「Everybody Wants to Rule the World」を始め、

ブルース・スプリングスティーンの「Dancing in the Dark」、Duran Duranの「Girls on Film」(両者のコラボは聴いてみたいなぁ)、

A-haの「Take on Me」、さらには自らが参加していた音源として「Owner of a Lonely Heart」(必聴)、

Frankie からは「The Power of Love」、

そして怪奇女性シンガー、Grace Jonesの「Slave to the Rhythm」など、

まさに80年代のイギリスを彩った楽曲がホーン独自の解釈で収録されている。



The Buggles在籍時、80年代にはわざとこういう歌い方をしているのかと思っていたホーンの歌唱が、

本作収録曲「Lonely Heart」、「Take on Me」を聴くと、昔と全然変わってなくて実は彼独特な味のあるヴォーカルだったと分かって微笑ましい。

ともすればディープな方向性に行きがちなプロデューサーというお仕事。

周囲をあっと言わせるレコーディング・テクニックを持ちながら、そこに常に"ポップ・ミュージックのリスナー"としてのスタンスを兼ね備えていること、

それこそがホーンの本質なのかも知れないな。

では、また次回に!

2枚組アルバム『Trevor Horn Reimagines - The Eighties Featuring the Sarm Orchestra』

2019.01.30 発売

※本コラムは、2019年5月31日の記事を転載しております。

Trevor Horn オフィシャルサイト

▼Spotifyプレイリストはこちら▼

コラムをもっと楽しんでもらえるよう、JIDORI自ら選曲をしたプレイリストだ!このプレイリストを聴くだけで君も洋楽フリーク!(?)


▼フジパシフィックミュージックでも連載中▼


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?