5/11 ニュースなスペイン語 Cervantes:セルバンテス
セルバンテスは、正しくは、ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra)という名で、取りあえず、『ドン・キホーテ(Don Quijote)』の作者とだけしておこう。
セルバンテスは1547年に生を受け、1616年に亡くなった人物なので、その意味では、まったく、「ニュースなスペイン語」というわけではないのだが、実は、このキホーテの作者にまつわるある定説が、この度、覆ったという。
むむむ、これは小欄で取り上げる価値がありそうなニュース。
これまで、セルバンテスはマドリード州のアルカラ・デ・エナレース市(Alcalá de Henares(以下、「アルカラ市」と略記))で生まれたとされていたが、実は、アンダルシア州のコルドバ市(Córdoba)で生まれたということが、セビージャ大学(Universidad de Sevilla)に保管されていた資料の分析から明らかになったのである。
アルカラ市はセルバンテスの生まれた土地として銘打っていて、街の中心には、セルバンテス広場(Plaza de Cervantes)なる憩いの場もある。
セルバンテスの生家とされている場所に小さな美術館もあるくらいで、同市のまちづくりや観光戦略などに大きな影響を与えそう。
では、アルカラ市では、一体、誰が生まれたのか?
実はキホーテの作者であるセルバンテスと同名(homónimo)のはとこ(primo segundo)ミゲル・デ・セルバンテスこそが、アルカラ市の生まれらしい。
はとこは親同士がいとこの関係なので、「サザエさん」で例えるなら、タラちゃんとイクラちゃんの関係。
まぁ、でも、セルバンテスが生まれたことには変わらない(よね、多分)。
アルカラ市で生まれた方のセルバンテスは、『ドン・キホーテ』の作者であるセルバンテスより1歳年下(un año más joven)で、まぁ、名前も同じ、年もほぼ同じ(coetáneo)、しかも、証書には「ミゲル・デ・セルバンテス」という署名も入っていたという。
さらに、アルカラのセルバンテスはキホーテのセルバンテスが従軍したいくつかの戦闘(campañas)にも参加していたと見られ、アルジェで捕虜となった(también fue cautivo en Árgel)というから、何から何まで、ふたりの境遇はほぼ重なる。
あのレパントの海戦(batalla de Lepanto)に参戦した時、キホーテのセルバンテスは25歳、アルカラのセルバンテスは24歳だったという。
まぁ、混同されてもしょうがないかなとも思うが…。
この歴史的取り違えは、しかし、記事をよく読んでみると、どうも、昔の公証役場の不手際だけが原因ではなさそう。
実は、アドルフォ・ロドリゲス・フラド(Adolfo Rodríguez Jurado)という人物が、今から100年以上も前の1914年、今回、明るみになった事実を、すでに、指摘していたらしい。
当時の国王であるアルフォンソ13世(Alfonso XIII)の前で、新事実、つまり、キホーテのセルバンテスがコルドバで生まれ、マドリードの周辺に明るく、そして、セビージャに暮らした(Cervantes era vecino de Madrid, nacido en Córdoba, criado del rey y "estante" en Sevilla)を示した書類が発見された重要性を強調(realzar la importancia del hallazgo)したというが、それからわずかしてから(poco después)、その事実を伝える書類の行方が分からなくなった(desapareció)という。
キホーテのセルバンテスがコルドバ生まれであることを示したこの書類は、結局、2016年までの間、セビージャ大学の金庫(caja de seguridad)に人知れず保管されていた(custodiado)という。
誰がこの書類をうやむやにしたのかは、まだ、分からないが、セルバンテスが生きていたら、小説にしてもらいたいくらいのミステリーだ。
写真は『ドン・キホーテ』の作者の方のセルバンテス。
実は、記事では、キホーテのセルバンテスの兄の子、つまり甥(sobrino)に当たるもうひとりの同姓同名のミゲル・デ・セルバンテスについても触れられている。
もっとも、こちらの甥バンテス(!)の方は、レパントの海戦時には12歳〜13歳くらいだったというから、従軍もできなかったらしい。