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9/15 ニュースなスペイン語 Alberto Fujimori:アルベルト・フジモリ

先日、小欄でも速報をうったが、アルベルト・フジモリ元ペルー大統領(写真)が11日、亡くなった。

熊本県出身の両親をもつフジモリは、1990年から2000年までの約10年間、日系人として、初のペルー大統領を務めた。

フジモリについては、ペルーをテロリズムと経済破綻から救った(salvó al país del terrorismo y el colapso económico)とする評価する声がある一方で、重大な人権侵害の下(graves violaciones a los derechos humanos)、強権政治(mandato autóctata)を行ったとネガティブな声もあり、まさに国内世論を二分した(dividió a la sociedad peruana)。

ところで、1996年12月17日に発生した首都リマの大使公邸占拠事件(Toma de la residencia del embajador de Japón en Lima)は、ある一定以上の年齢の人たちには、記憶が残っているだろう。

天皇誕生日を祝うため、公邸に国内外の大勢の要人が招かれていた中、過激派組織トゥパク・アマル革命運動(Movimiento Revolucionario Túpac Amaru)のメンバー14人が突如、建物に押し入り、日本大使員ら622人を人質(rehenes)に立てこもった事件。

詳細は省くが、占拠発生から約127日後、ペルー軍による特別武装隊(Fuerzas especiales)が突入し、人質全員を解放するとに成功した(が、数名が脱出時に重軽傷を負った)。

なお、実行犯14人全員が現場で射殺されたという(メンバーの中には「私たちは降参します(Nos rendimos)」と叫び、降伏の意思を示していた少女らもいた、との報道もある)。

この突入作戦の陣頭を取っていたのがフジモリだった。

さて、フジモリの娘であり、政治家でもあるケイコ・フジモリ(Keiko Fujimori)は、父親が亡くなった日、SNSに次のように投稿した。

長きにわたるガンとの闘病を終え、私たちの父、アルベルト・フジモリは神にお目にかかるべく、今、この場を離れたところです。生前、父を慕って下さった皆様に、どうかそのたましいが永遠の休息に入れるようお祈り頂き、私たちに寄り添って下さいますようお願い申し上げます。本当にいろいろありがとう、パパ(Después de una larga batalla contra el cáncer, nuestro padre, Alberto Fujimori acaba de partir al encuentro del Señor. Pedimos a quienes lo apreciaron nos acompañen con una oración por el eterno descanso de su alma. Gracias por tanto papá!)。

とても小欄では書き尽くせない光と影、功と罪を生きたフジモリは、人道に対する罪(lesa humana)で25年の禁錮刑を言い渡され、刑期途中の昨年12月に健康上の理由で(por razones de salud)、恩赦を受け、出所していた(excarcelado)。

長期間の服役や大病を思うに、あまり気持ちの良い晩年ではなかったかもしれない。

でも、最後の最後に、家族から「本当にありがとう、パパ」と言われるなら、フジモリ本人は穏やかにこの世を旅立てたかもしれない。

激動の86年の生涯を閉じた藤森謙也(フジモリ ケンヤ(日本名))の冥福を祈る。

アーメン。

写真は大統領就任当時のフジモリ。

この時、若干52歳。

ちなみに、「ji」はスペイン語では「ヒ」に近い発音になるため、「フヒモリ」と報じられているが、小欄では、慣例にならい「フジモリ」と表記した。

フジモリ全般のこと
https://www.rtve.es/noticias/20240912/muere-expresidente-peruano-alberto-fujimori-a-86-anos/16245125.shtml など

ペルー大使公邸占領事件について
https://es.m.wikipedia.org/wiki/Toma_de_la_residencia_del_embajador_de_Jap%C3%B3n_en_Lima など