11/5 ニュースなスペイン語 Juanita:ファニータ
写真の女性に付けられた名前である。
どこかで見たような、知り合いにいたような…。
我々アジア人には、何となくシンパシーを感じる表情だ。
秋篠宮佳子内親王(佳子さま)がペルーを訪れているということで、ふと、かの国の有名人のひとりファニータのことを思い出した。
ファニータは今から約28年前、ペルーの海抜6318メートルのアンパト山(Ampato)で発見された。
発見された当時、ファニータは次のようなミイラ(momia)だった。
彼女は1440〜1450年あたりを生きたとされている。推定年齢は13歳から15歳。身長140センチ、体重35キロ。栄養状態は良好(bien alimentada)だったらしい。
直接の死因とされているのは右側頭部を強打されたことによるショック死(La causa probable de la muerte fue un fuerte golpe en el lóbulo occipital derecho)とされている。
そう、彼女はアンデス山脈の文明の生贄として生涯を終えたのである(sacrificada en honor a este macizo de la cordillera de los Andes)。
まさか、ファニータが生きていた時の表情など見られることはないだろうと思ってました(Pensé que nunca sabría cómo era su cara cuando estaba viva )。なんせ、ファニータの顔を覆っていた布はボロボロで、肌もカラカラに乾いていたので(porque la tela que cubría su rostro se había rasgado y la piel se secó)。
顔の復元(recontrucción)を手掛けた専門家のひとりはこう述べた。
顔の復元をするのに必要な第一歩は、頭蓋骨の模型(réplica del cráneo)を作ることという。その後、全身のスキャン(escáneres corporales)、DNA鑑定(estudios de ADN)、他にも民族学(etnológicas)、年代学(de edad)、骨格学(de su complexión)などの知見が大集結する作業で、構想から完成まで長い年月を要した。
ちなみに、ファニータは以下に示したような34個の埋葬品と一緒に葬られていた。
これらは幾何学的な模様で装飾された陶器で出来ていて(cerámica decorados con figuras geométricas)、インカ文明が発展させてきた、死者との交流のシステム(un sistema de comunicación desarrollado por los incas)を表しているという。
インカ文明では、生贄に捧げられた子供たちは死なず、先祖と合流し、山の高みから、文明を見守り続けると信じられていた(Según la creencia inca, los niños ofrendados no morían, sino que se reunían con sus antepasados, quienes observaban desde las cumbres de las altas montañas)という。
写真はファニータの復元された顔。
現代を生きる我々には理解しがたい生贄制度だが、ファニータが丁寧に、栄養満点で、育てられていたらしいと聞けば、幾分か心が鎮まる。