見出し画像

9/10 ニュースなスペイン語 Anosognosia:病態失認

いかつい見た目の日本語だが、まぁ、意味は何となく分かるだろう。

つまり

認知機能低下を患っている人が自らの限界に気付くことができない(La persona que está padeciendo ese deterioro (cognitivo)no es capaz de reconocer sus limitaciones)――。

という状態を指す。

ドキッとする。

幸い、まだ、著しい認知機能の低下は無い(と思っているのは本人だけかもしれない)けど、小さな物忘れは、以前より、多くなってきた小生にとって、なかなか、ショッキングな内容。

ちなみに、語の造りとしては、「a-」が「否定」、「-noso(s)-」が「病気」、「-gnosia」が「知ること;知識」をそれぞれ表わし、いずれもギリシア語出身の要素で、「病を知らないこと」が原義。

この語はそのいかつさからも想像付くが医学用語。

そんな仰々しいい医療術語が出てきた記事のタイトルは

私たちはいつ運転を辞めなければならないのか(¿Cuándo debemos dejar de conducir?)?

というもの。

高齢者(mayor)に車の運転(conducción)を断念させるのは、洋の東西を問わず、難しいテーマみたいで、今回の記事には、家族が高齢の身内に、いかにして、運転を辞めるよう説得するかのアレコレが書かれている。

まず、押さえておくべきは、年齢は確かに認知機能低下の危険因子のひとつ(La edad es un factor de riesgo de deterioro cognitivo)ではあるが、しかし、 このことは歳を重ねたら必ず認知機能が低下するということを意味するわけではない(esto no implica 100% que por cumplir años tengas que tener un deterioro cognitivo)ということ。

年を取ると、先の見通し(planificación)や新しい状況への適応(adaptarse a nuevas situaciones)が難しくなったり、はたまた、とっさの出来事への反応時間(tiempo de reacción)もかかる。

加えて、視覚による知覚機能(funciones visoperceptivas)、空間認識(visoespaciales)、視覚運動(coordinación visomotora)などの働きが落ちる。

厄介なのが、こうした限界を本人が自覚していない、つまり、上にも述べた病態失認の状態にあることが多い点。

何か危険なことが起こる前に、運転を諦めさせること(abandono de la conducción antes de que suponga un riesgo)が肝要だが、運転を辞めることを、ドライバーは大きな損失(una gran pérdida)と感じる。

だから、常に本人に寄り添い(empatía)ながらも、事故を起こした時の責任(responsabilidad)などをよく言って聞かせ(apelar)、そして、運転をしないことのメリット(beneficios del abandono)などのアピールをする。

そのためには、時間をかけて(con tiempo)、徐々に本人に自覚を持たせ(preparándose)、色々な手続きや計画を立ててゆくのが良い(procesando y planificando)とのこと。

車の便利さを知ると簡単にはハンドル(volante)を手放せなくなるが、事故を起こしてからでは遅いので、小生も老化をはっきり意識できている間に免許返納も考えないと。

写真はハンドルを握る高齢女性(多分、イメージ画像)。

出典
https://www.rtve.es/television/20240829/cuando-dejar-conducir/16230237.shtml