結婚記念日 J君が逝き そして2人になった…
いつもありがとうございます。⬆の写真は、コエドビールです。
クラフトビールで6種類あり、長女からの贈り物です。
紅赤(べにあか)、漆黒(しっこく)、毬花(まりはな)、瑠璃(るり)、伽羅(きゃら)、白(しろ)
どれも美味しいのですが、婆ちゃんは漆黒が好みかも…
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45年前結婚後社宅事情
現在は企業持ちの社宅は殆どないのではないでしょうか?
はじめに
昭和53年、遙か昔の話で社宅に入った時の違和感を書きます。
夫と婆ちゃんは共に20代で結婚し会社の社宅に入りました。
新婚者用社宅が36軒あり結婚して数年以内の方達ばかりでした。
入居のご挨拶に伺うとその家のほんの小さなお子さんから、
初めて『おばちゃん』と言われたのには、ショックでした。
結婚すれば20代でもおばちゃん呼ばわりされるのかあ~
そしてもっと驚いたのは、○○さんの奧さんと呼ばれたこと。
その当時、結婚する前は『お嬢さん』と呼ばれていたのが
おばちゃんや奧さんと呼ばれ自分が一気に老けた感じがしました。
自分の人生はおばさんなのかあ~と思ったことを覚えています。
社宅の奧さんは皆専業主婦、社宅料は安いそんな時代でした。
社宅で子育て
新婚社宅なので赤ちゃんから幼稚園児がどの家にもいました。
大家族主義を唱える会社の社宅で夫は仕事奧さんは子育て。
そんな中で赤ちゃんが生まれ子供達は皆社宅で育ちました。
社宅では回りの目も気にしながら集団生活をしてるようでした。
ここは子供が2人まで居住し、子供が増えると他の社宅へ。
社宅に馴染めない方はさっさと家を建て退去されてたようです。
わが家は子供が4人になり広い社宅に移り19年間過ごしました。
その当時はバブル絶頂期でした。
偶々転勤はなく、その後家を建て26年になり現在に至ります。
犬を飼う
新築すると偶然にも犬がやって来て飼った先住犬のコロさま
コロさまは14歳まで生き、J君は二代目で今までに至っていました。
子供達は皆大きく成長し自立して遠くに独立して行きました。
最後に三女が嫁に行き、家には夫と婆ちゃんとJ君が残りました。
それから6年間夫と婆ちゃんとJ君の3人暮らしが始まりました。
わが家のJ君
J君はまっ白のビジョンフリーゼで頭がまん丸でふわふわでした。
孫は目に入れても痛くないと言われますがJ君も然りでした。
ふわふわでとても可愛く子供たちは独立したのでJ君命でした。
J君は生まれながらひょうきんで全然気にしない明るい性格でした。
天使のJ君にとても癒されました
時は過ぎ
J君は14歳で老犬に、私達は爺さんと婆ちゃんになりました。
毎日何回も散歩し、J君を中心に生活が回っていました。
それが1年半前
夫が不整脈になるとJ君も不整脈になりました。
次に1年前
婆ちゃんに腫瘍が出来るとJ君の背中にも腫瘍?ができました。
この春三女に検診でガンの疑いがありでしたが
J君は身代わりのように具合が悪くなりました。
そして、三女の痼りは良性でガンではありませんでした。
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桜が散るころ急に
J君は餌を全く食べようとせず、水を飲むだけになりました。
J君のカラダは段々痩せて歩行もフラフラのようになりました。
散歩の大好きなJ君でしたが、
一昨日から散歩も出来なくなり、便は軟便になりました。
今月、
あれほど元気だったのに一気に衰弱して行きました。
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傍でJ君のカラダを呼吸に合わせゆっくり撫でて触っていました。
安心したのか
J君が亡くなったのは偶然にも
4月22日(きのう)
結婚45周年記念日
忘れられない日になりました
J君からのメッセージ
これから先は
二人で仲良く暮らして欲しい
それで
結婚記念日まで頑張って生き見届けて逝ったのだろうか?。
J君、今までありがとう!
noteを始めた翌日J君の記事です。
noteの皆さま
J君は、さくらの散ったころ急に具合悪くなり夫婦の結婚記念日の昨日虹の橋を渡りました。
皆さまご心配をおかけしました。
苦しまなかったのが何よりです。
ありがとうございます。
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今頃
先住犬のコロさまに再会していることでしょう。
J君、
コロさまに会えワクワクだね。