私が書き続ける理由
「ほら、また黙る。都合が悪くなったらいつもそうだ」
「先生!コイツ、泣いて勝とうとしてる!」
「あんたって何考えてるかわからない」
「は?なんで黙るの?怖いんだけど!もうあんたのこと切りたい」
言葉が浴びせられれば浴びせられるほど
頭が真っ白になって、焦って、何も話せなくなる。
「場面緘黙」についての本も読んだ。
泣きたいわけじゃない。
でも、やるせなくて、悔しくて、涙が出てしまう。
そして、余計に相手を呆れさせる。
生徒会長に立候補して、演説の台に立った途端
頭が真っ白になって、壇上で泣いてしまったこともある。
今、人前で講座をして
ライブ配信で楽しくおしゃべりして
コミュニケーションやプレゼンも上手い、と言われている私が
こんなだったって、信じてもらえるだろうか。
実は、今もそう。
緊張することが苦手。
人前で話す時には原稿を作って何度も何度も暗記するくらい練習している。
とっさの場面では
自分のことを話さなきゃ!ちゃんと話さなきゃ!
と思えば思うほど、話せなくなる。
理論的に説明することなんて大の苦手。
でも、思いも、やりたいことも溢れてる。
負けたくない。
だから、私は
描くこと
書くこと
に、味方になってもらおうと思った。
文章の世界
喋っていない間も、ずっと脳内が喋っている。
言葉が溢れている。
思えば、物心ついた頃から脳内がTwitterみたいだった。
誰かと遊んで楽しかったこと
親や先生に言われて嬉しかったこと、悲しかったこと
誰もみていないような人の感情を発見したこと
窓枠や壁紙の模様をずっと眺めながら空想の世界に行っていたこと
そんなことをたくさん記憶して反芻して
日々、頭をパンパンにしていた。
それなのに、言葉で思いを伝えるのが本当に下手だった。
特に親には、どうやって伝えたら怒られずに、否定されずに
わかってもらえるのか考えては何も言えなくなって
結局怒られる、の繰り返しだった。
幼稚園の頃にはすでに、怒られないためのいい子になりきっていた。
本当はいつも頭の中がうるさくて、楽しいことがしたくて
何も考えず無邪気に生きていたかったけど
いい子にしていたら、周りの大人がすごく褒めてくれるので
ガチガチに固まって生きていた。
小学校にあがってすぐ、あまり学校に行けなくなった。
国語の授業は好きで、毎週図書館に連れて行ってもらって
たくさん本を読んでいた。
私を救ってくれたのは、文章を書くことだった。
自分のペースで言葉を考えることができる。
嫌な言葉や汚い言葉を書いても、誰も見てない。
どんなにたくさん溢れても受け止めてくれる。
作文も好きで、夏休みの宿題の作文を原稿用紙10枚以上書くなんてザラだった。
お話の切れ端のようなものもたくさん書いた。
手紙
溢れて言葉に詰まってしまう私は、手紙をよく書いた。
まだ幼稚園くらいの時かな
ずっとお母さんの元気がなくて心配で、不安だった時
「私がいい子じゃないせいで、お母さんに悲しい思いをさせてごめんなさい」
と手紙を書いて渡した。
自分が親になった今、幼稚園児の我が子にそんな手紙を書かせてしまった親の心境はどんなかと思うが、母に泣きながら抱きしめられたのを覚えている。
学校の課題を一緒にやっていた友達とすれ違ってしまった時、私が思っていたことを手紙に書いて渡したこともあった。
あの時、こういうふうに考えていたから、ああやって言ったんだ
うまく伝えられなくてごめんね
一緒にやっている課題、いいものにしたいんだ
そんなふうに伝えたこともある。
まだ小学生の頃の話だ。
中学の頃、大好きだった先生が転勤してしまうと知った時には
泣きながら何枚もの手紙を書いた。
もう、何を書いたか覚えてないけど
重いことを書いていなかっただろうか。。。
別の先生は
「紗央里が書いてくれた手紙にあった
"先生に会って、優しさが強くなりました"
っていう言葉、すごく嬉しくてずっと覚えてるよ」
と言ってくれた。
大人になってからも、たくさんの文章を書いて、メールや手紙のやり取りをしてきた。
文字でのコミュニケーションは感情が伝わりにくいから苦手だ、話せばわかる、会えばわかる、という人もいるけれど、文字でわかり合えなかったらそれまでだと思う。
文字にだって、誠意や愛情はちゃんと乗るからだ。
そこにイラストが入ってきた
私の本業は、文筆家ではなくてイラストレーターだ。
なんで、イラストレーターになったんだろうと思う。
絵も、物心ついた時から好きだ。
小学生の時から作文を書けば賞を取ってきたのとは反面
絵の才能には恵まれなかったのだけど。。。
思えば、私にとっての絵は
なんとか、伝えたいことを形にするためのものだった。
だから、表情がイキイキしている、ってことだけは自信がある。
壁新聞とか、四コマ漫画とか、作るのが大好きだった。
絵が、言葉だけでは伝えられない表現の世界を広げてくれる。
言葉が、私のどうしても「綺麗」にならなかった絵を
一緒に生かしてくれる。
もう、これしかなかった。
私にとって、描くこと、書くことは
今は仕事になっている。
でも、それ以前に
「私を助けてくれるもの」
だった。
紙が一枚。
私と世界の間に入って
思いを伝えたり
相手の思いを落ち着いて受け取ったりしてくれる。
作家でもない私の原稿用紙10枚に至るラブレターは重すぎるけど、イラストにしたら、嬉しいものになる。
そう思って、出会った人たちにどれだけ思いを馳せても喜ばれるであろう
エッセイ本を作ったりもした。
わかり合いたい時、絶対に想いが溢れて喋れなくなるから
考えを図解して、資料を作る。
一緒に見ながら話すことで、すり合わせができる。
話が空中分解せずに済む。
書くことと、描くこと
私のコミュニケーションはこれなしには成り立たない。
いや、正確には、今はできるよ。
楽しく話すことはできる。
信頼を得ることもできる。
でも、仕事はできない。
起業初期から契約書を作り込んだのも、口頭での交渉で仕事がやり切れるわけがなく、紙で伝えればいいじゃん、と思ったから。
仕事が始まる時には、絶対に提案書を作る。
今でこそ、相方の中嶋さんと共にPDFで作り込むけど
起業初期は、こうやって本当にアナログ手書きの企画書を作ってお客さんと共有していた。
共有する。
前に進む。
そのためにペンを持ってきた。
諦められないのだ。
人生を良くしていくことと
世界と関わっていくことを。
「咀嚼して、伝わるように変換する力がすごいんだよ」
昨年初めて「グラフィックレコーディング」というものを仕事にした。
グラレコは、会議やイベントの内容を、(なるべくリアルタイムで)図解してまとめる手法。
ずっとそれに似たようなことを仕事にしながらも、グラレコのスピード感は自信がなくて、一生やらないと思っていた。
たまたま「イベントのグラレコってやれますか?」と声をかけていただいて
恐る恐る練習を始めた。
こんな自己流でいいのかな。
まっすぐ、字とか書けないけど。
ってか本当、時間内に書き上げるとかできるかな。
そうやって不安に思いながら練習していたら
声がかかった仕事の前に、なかまこさんが
「うちのセミナーでグラレコやってよ!」
と声をかけてくださった。
これを描いた時に
「しゃおりさんのイラストルポやグラレコは、ただまとめるだけじゃないでしょ。話を聞いて、大切な部分を汲み取って、咀嚼して、相手に伝わるように言葉を言い換えたり、まとめたりしてる、そこがいいんだよ!!」
と何度も言ってくださった。
無意識に「グラレコ界隈」に馴染もうと、綺麗にまとめなきゃと思っていた私にとって、この言葉はすごい勇気になったし、いつでもその良さがブレないように意識して描いている。
もうひとり、すごくあきらめの悪い人に出会った
「しゃおりさんにご相談があって」
同じ千歳に住んでいて、同世代のママで、グラフィッカー(グラレコを描く人のこと)。
起業女子の支援や、気候変動について伝える活動もしている"あかねさん"がそう連絡をくれたのは、ちょうど1年ほど前のことだ。
いろんな「大人の会議」に関わっているあかねさんから受けた相談は
「長いスパンで考えて、グラレコを書ける人を増やしたい」だった。
大人の集まる会議。
いっぱいある。
そして、私も、思うところがあった。
せっかく集まるなら、前に進むための話がしたい。
でも、言葉のチョイスの違い、受け取り方の違い
空中で投げ合っては消えていく言葉…
「言葉だけ」でやり取りするゆえに、うまく分かり合えなかったり
時にぶつかり合ってしまったり
誰かが悲しい思いをしたりする現場を見てきた。
自分が悲しい気持ちになったこともある。
あかねさんの考えは
「そんな場に、色んな場に、グラレコを書ける人がいたら、何かが変わるんじゃないか」
ということだった。
あかねさんは
「私のいいところであり悪いところでもあるのが"話せばわかると思ってる"ところなんです」
と話した。
私たちの歩んできた人生はもちろん全然違くて、あかねさんは私には想像つかないくらい辛い思いをしてきたようだったけど
その人生には「諦めないために、書くこと」が同じようにあって、
気づいたら私が泣いていた。
「話せばわかる」と思ってくれるこの人となら大丈夫
これからも一緒に仕事がしていきたい
そう思って、北海道の深い冬
私たちは一緒にたくらみをスタートした。
活動の名前を
場を、人と人をグラフィックでつなぐ
「つなぐら」と名付けて。
本当は諦めたくなかった人へ
会議に、チームに、色んな人がいる。
その中で、もっと良くしたいと思う人たちがいる。
たとえ、司会者じゃなくても。
声が大きくなくても。
空気が悪くなりそうな時、発言者に向かって
「大丈夫だよ、聞いているよ」と目を向けて頷く人。
密かにメモをとって、後で共有してくれる人。
それもできないけど
「本当は、よくするために自分も何かしたいと思っていた」
そんな人もいるんじゃないだろうか。
そして、自分というものを諦めないためにこんなに根性持って書いてきた負けず嫌いの人間(私たちのことです)も稀なもんで、
「本当は、自分をわかってあげること、わかってもらうこと、諦めたくなかった」
そんな思いを心の奥底に秘めている人も、いるんじゃないだろうか。
自分って何者なんだろう、とか。
表現をもっと人に届けてみたいのに、とか。
でも、才能ないんじゃないか、とか。
その答えは「書き続ける」ことにあるかもしれない。
そして、一歩目はいつも、ペンを持って、ちょっとだけ書いてみるところから。線一本、一文字から。
手で書くことには、運命すら動かす力があると私は思ってる。
とまぁ、話が壮大になってきたんだけど、
そんなあかねさんと「グラレコの体験会」を開きます。
絵心があるとかないとか、センスがあるとかないとか、全然考えないでよくて
「なんか、あたらしい世界覗いてみたいな」
「自分の可能性を見てみたいな」
「楽しそうだな」
ううん
「自分にできるかなぁ…」
と不安なくらいでも
なんなら
「こういうの自分には関係ないな」
と思ってるそこのあなたも。
ちょこっと、覗きに来てみてくださいよ。
ここから。↓
体験会では、しゃおりが講師を担当します。
5年以上大人のお絵かき教室を開催して
「絵心ゼロなの!」という人たちを2時間でうまくさせてきたので、分かりやすさはお墨付きです。
11月には本講座も開講。
ここで一緒に学ぶ人たちのことは(プレッシャー与えるつもりはないけど)勝手に「仲間」だと思ってて、これからもつながってたいな、と思います。
何度も、生きることまで諦めたくなったけど
今では、話すの下手くそでよかったと思う。
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