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「出馬したら?笑」に思うこと

「しゃおりさん、市議会議員とかに出馬したらいいじゃないですか笑」

たぶん、言われたのは一度や二度ではない。
意図はなんであれ、こういうことを言うセンスの持ち主と親しくなることはまずないので、まぁどうでもいいんだけど、この間飲み会で

「これ言われるのすっごく嫌なんです!」

とかなり熱量高めに言っている自分がいた。

まぁ、気分よくはないよなぁ。

自分の傷をわざわざえぐって中を見てみたくなるドM気質、同時にこういうこと言ってくる人種について分析して、最終的にブッ刺さる文章を書きたいドS気質でもあるため、

なんでいやなのか、ちょっと掘り下げてみることにした。

仕事をちゃんとやりたいだけなのに


私は、高専・大学ともに「まちづくり」に関わるデザインを学んでいて、その後は地元市役所の職員…公務員を経て独立した。

だから多分、普通のイラストレーターより、官公庁と関わる仕事が多い。
観光系のパンフレットとか、企画のお手伝いとか。
知り合いにも、「まちづくり」に関わる人が多い。

「まちづくり」とはなんぞや、という話をしだすと話が不穏な方向にいってしまうので一旦置いておくけれど。

いろんな組織の関わる場面
いろんな大人の関わる場面

そんなところにいると「もっとこうしたらいいのに」「どうしてこうなっちゃうんだろう」という、もどかしい気持ちになることがかなり多い。

ストレートにいうと

「大の大人がこんなに集まって、なんて意味のない時間を過ごしているんだ」「えっどうしてこんなに何も決まってないの!?」

という場面に何度も何度も遭遇してきた。

それを、もどかしいまま持ち帰れないのが私の性分で
「こうしたらいいと思うんですが…」
と、すぐ提案したくなってしまう。実際に、してしまう。

仕事ってそういうものじゃない?

意味のあることをする。
無駄があれば削る。
前に進むためにする。
参加する人の気持ちにも配慮しながら
できるまでやる。

それをちゃんとやりたいだけなのだ。
私はちゃんと仕事がしたいし、前に進みたい。
そのために言うべきことがあるなら
全然臆せず言うし、面倒だって被る所存だ。

何度も言うけど

「自分の仕事をちゃんとやりたい」

それだけなのだ。

なのに、こういう話…
まちづくりの現場で改善したほうがいいと思ったことを
話したりしていると、突然

「もう出馬したらいいじゃないですか笑」

とか言われるのだ。
(笑)は、心の耳で聞いたんじゃなくて、実際に笑いながら言われるのだ。
そして、相手は今まで100%男性だ。

この時の私の気持ちは
「????」
である。
意味がわからない。
とりあえずハハハ〜と笑って流す。

そして、後から確実にくる不快感。 

ふーん。
私、自分の仕事の話してただけなんだけど
こういう仕事って、議員にならないとできないの?
そもそも私、議員の仕事にあまり詳しくないんだけど、あなたは詳しいの?
議員になったら何ができるかわかった上で言ってくれてるの?
きっと、違うよね。
そこから、立候補することや、ほかの議員さんの具体的なエピソードに話が続いたことは一回もない。
(だから、このnoteでは実際に議員さんと呼ばれる人たちがどんな仕事をしているか、には言及しない。深く考えない「出馬したら?」は、今議員として尽力されている方達にも失礼な言葉だと思う)

「意識高いっすね〜!」と同じように
的外れな褒め言葉って
言われた方は、バカにされたとか
線を引かれて話を聞く気がない
という意思表示をされたような気持ちになる。
そして、その人と親しくなることはないな、と、そっと心の扉を閉じる。

なんで「意識高いね」とか「出馬したら」とか言うんだろう。

なんかさ、相手のこと本当にすごいな!って思ったら
「すごいですね!」「真剣にお仕事してるんですね」
とか、シンプルにそういう言葉をかけたらいいと思うんだよ。

でも、やっぱり「意識高いね」とか「出馬したら」っていうのには
なんか、ちょっと、薄暗いものを感じる。
自分のプライドを守っているような。
悔しい、とか、羨ましい、という言葉の裏返しのような。

あとはね「どんどんすごくなって、なんか遠くに行っちゃう気がする」とかも。

想像だけど
相手を必要以上に上げたり
少し茶化した言い方をすることで
自分のポジションを保とうとしてますか?
自分のやっていることやお仕事への姿勢に自信がないんですか?
先手を打って相手を持ち上げるっていいですよね、先にラベルを貼ることで、本当の現実を見なくていいから。

まぁ、このくらいにしとこう。
本当に、こういうことを言ってくる人たちに興味はないのだ。

でも。

「もっとよくしたいよね」が普通に熱く語れる世界で生きていたい

今一緒にお仕事をさせてもらっている子も、同じように「まちづくりに熱心だね」「社会問題への関心が高くてすごいね」「議員になったら」と言われるらしい。
彼女も「嫌だ」とまではいかないけど「そうじゃないのになぁ」と言っていた。

まちのためとか、世のため人のためとかなくて

わが子に少しでも生きやすい社会を残したいな
っていう子どものため。
でも、それ以前に、自分のため。
自分が納得のいく仕事をしたい。
なるべくみんなとわかり合って生きたい
それだけ。

でも、それを実現するには、社会の問題に目を向けて
自分が生きている間に少しでもよくしたい、と。

彼女のような人と出会い
熱く語り、共に仕事できることを嬉しく思う。
そして、そうやって活動している人を心から尊敬して
自分の襟を正しながら生きていきたい。

一緒にWEBのお仕事をしている中嶋さんだってそうだ。

私は地球環境を良い状態で維持したいというのは、人類のエゴでしかないと思っている。気候変動によって人類が滅亡することになっても、感情のある人間だけが、いろいろ感情を抱くだけ。地球が困るわけでも、ツラいわけでも、悲しいわけでもない。

じゃあ地球環境を守る活動って何なのかを突き詰めると、人類に対する愛だと思うんだよ。

環境活動家がトレビの泉を黒く染めるについて思ったこと

生きている間に少しでもいい地球を残したい
そして、思い切りちゃんと仕事したい。
そんな気持ちで生きている仕事人と一緒にやれて安心する。

中嶋さんと出会い、私が人として成長させてもらっているSUNABACOという場所だってそうだ。

https://x.com/nakamakoko/status/1565900157082021888

晴れた日の道の真ん中を堂々と歩く

人に嫉妬してしょうもないこと言ってる暇があったら、言葉巧みにおいしいところをもらおうとしている暇があったら
自分の今できる精一杯に集中したい。
そうしたら、悩むことなんてない。
しょうもないこと言う、って、前に進まなくていい言い訳なんだ。

すごくなくてもいいから、まっすぐ生きたい。
きっとそれが近道だから。

熱量は移るし、人は環境によって出てくる面が違う、ということも信じたい


仕事をしていて「どうしてこんなにやる気がないんだろう」と思っていた相手と時間をかけて打ち解けていくうちに
その人の持っている優しさとか「本当はよくしたかった」「でも、諦めていた」という気持ちとかが見えてきて
気づいたら一緒に頑張れるようになっていた、ということがあるととても嬉しい。

先述のSUNABACOで学んだ言葉に「学習性無気力」という言葉がある。

全ての人と仲良くやっていこうとは思わない。
先週書いたnoteなんて「話しても一生分かり合えない人もいる」という話だ。

でも、今目の前にいる人の見えている面だけがその人ではない。
ということは、なるべく忘れずにいたい。


私に「出馬したらいいんじゃないですか?笑」と言ったお兄さん。
本当はそのあと、どんな話をしたかったですか?

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