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伝えたいことを伝える前に一旦停止。寄り添うコミュニケーションとは?
家族のグループLINEに母や姉などに誕生日のお祝いメッセージを送る度に、母から出てくる言葉は歳をとることに対するネガティブや健康への不安の言葉ばかりです。
『嫌やけど歳とった。
(姉に対して)もうすぐ老眼始まるで。
後期高齢者になってすごいお婆さんになった気分。』
姉も『更年期ってどんな感じ?』と。
この言葉を聞いて、私は嫌悪感を抱きました。
これまでもずっとそんな言葉を聞いてきて、自分の身の回りにいる人生の先輩方を見ても、そういう感覚を持っている人ばかりだったので、老いていく未来に希望というものを抱けませんでした。
ですが、オンラインで学ばせて頂くようになり、私よりも年上の方々がキラキラ輝きながら、学びや人とのコミュニケーション、様々な活動などに、イキイキととっても素敵な笑顔で楽しまれているのを見て、私は未来に希望を抱くことができました。
ネガティブに捉えていた『歳をとる』という言い方ではなく、経験を積んでいく、素敵な思い出がどんどん増える、年輪を重ねるように『歳を重ねる』という言い方に変えてイメージを変えるようにしました。
そんな変化が起こっている私にとって、母や姉の言葉に不快感を感じてしまい、この考えの方が絶対人生楽しいからという良かれと思う心で、私が変化したようにみんなにも変化してもらいたくて、年齢を重ねることをポジティブに捉えられる名言を集めて、送信しようと思いました。
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名言を集めながらふと思いました。
何かすごい一流の人たちばかりの言葉が集まったな。
今、この言葉をそのまま、いきなり母や姉に送るのはなんだか違う気がしました。
これまで何度も感化されてきた私は、母や姉だけでなく、職場の人にも良かれと思う心で、自分が学んで得た情報を、相手の状況や心情などを考えることなく、自分の高まった熱量で突然発信したりしていました。
そういう時ってだいたいシラーッと冷めた空気が流れるんですよね。
そして、これまで気付かなかったのですが、良かれと思う心にはその相手の方への否定が含まれているということに新たに気付きました。
『このやり方すごくいいよ。(あなたのやり方はダメですよ。)』という私の発信を攻撃だと捉えた人からは攻撃を返されます。
過去には衝突をした事もありますが、最近は『色々刺激受けてるんだね~。』みたいな感じで周りの人の方が、私の発信に過敏に反応することなく、温かい目で見守ってくれてる感じがします。
これは攻撃になってしまうのかもなぁと寝かしていると、また母と姉のやりとりが。
母『気だけはいつまでも若いつもりやけど体は確実に歳をとる。腰も痛いわ~。』
姉『気が若いことはいいことやね🤩
見習おうっと!!』
母『そうね!気はいつも若く明るくポジティブにね🤩✨』
母は気持ちはポジティブに持っているけど、それでも体の不調など若い時と同じようにはいかないことをリアルに体感しているんですね。
その体験をしていない私は、その感覚がわからず『これがいいことだから、考え方を変えて!!』と、自分の理想を押し付けようとしていたに過ぎないと思いました。
母に変化をしてほしいと望むのは、母のためと思いきや、実は自分のためだったのだと今、書きながら気付きました。
老いていく母の姿を見たくない。
母の姿に未来の自分を投影したくない。
だけど、いずれその現実はやってくる。
老いるという現実を受け入れられていないのは自分だったんだなと思いました。
他者を変えることはできない。
変えられるのは自分だけ。
どんな風に歳を重ねるのか。
自分の理想は自分だけのものであって、他者に押し付けるものではない。
他者には他者が選んだ生き方というものがある。
自分にできることは、それをただ尊重することだけ。
共感や同調するのでなく、その人の気持ちにただ寄り添うということはできるんだろう。
それをうまくできるようになれたらいいなぁ。
最後までお読み頂きありがとうございます🤩
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